1980-82年にかけて漫才ブームが到来してから、日本では多くのお笑い芸人たちがお茶の間を賑わせてきた。芸人によってその手法はさまざまですが、そのなかでも「漫才」と「コント」は二大演芸です。この記事ではそんな「漫才」と「コント」の違いを、漫才好きのWebライターおとのと一緒に解説していきます。

ライター/おとの

動画サイトの公式チャンネルで漫才や落語を見るのが趣味の雑学オタク。学生時代、講義で見た落語の『蒟蒻問答』があまりにも面白く、生徒の大多数が寝ているなかで一人だけ笑っていた。

漫才とコントの違いはコレ!

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漫才とコントの違いを端的に説明すると、話術で笑わせるのが「漫才」で、お芝居で笑わせるのが「コント」です。漫才はスタンドマイクの前に立ち、演者が自分自身のままで掛け合いを始めます。それに対しコントは幕が上がった瞬間から設定と配役に沿ったキャラクターになりきって寸劇を演じるのです。以下で、それぞれの特徴について解説していきます。

漫才は話術

漫才とは、演者同士の話術や掛け合いによって観客を笑わせる演芸です。突拍子もないことや的外れなことを言うボケに対し、テンポ良く訂正や批判を入れるツッコミという役割があることから、漫才の多くはコンビで演じられます

以前は言葉でツッコミを入れると同時にボケの胸や頭を叩くのが漫才のイメージとして定着していましたが、近年はこのようなやや荒っぽく見えるスタイルは少なくなりましたね。あえてツッコミを入れなかったりボケに同調したりする新しい形式も出てきました。

コントは寸劇

コントは「寸劇」を意味するフランス語。劇である以上、舞台上で世界は完成しています。登場人物はあくまでも自分の日常を過ごしているつもりで、滑稽な出来事が発生するのです。衣装や小道具などを使ってお芝居の世界観や設定を表現することも可能なので、演者は1人でも複数人でも成立します。

コントのなかでもボケとツッコミの役割があることがほとんど。しかしアンジャッシュに代表されるように、些細な食い違いからお互いにとんでもない勘違いをするといった、従来の役割が存在しないネタもあります

漫才とコントの演出の違い

漫才とコントでは演出方法も異なる部分が多くありますが、それは演者と観客の関係の違いと言えます。

演者と観客が同じ空間にいることを前提としている漫才は、登場後に自己紹介や挨拶から始まるのが基本です。漫才の最中にお客さんに話しかけることや会場の空気感をいじることも可能。「今は高座で漫才をやっている」という事実を観客と共有するのです。ネタの最後は「もう良いわ」等の締めのセリフとお辞儀で終わります。

一方のコントは、演者と観客がいるのは別の世界演者扮する登場人物に観客は見えていませんし、自分たちがコントを演じているとは思っていないのです。開幕と同時にお芝居が始まるため挨拶などはありません。また、セリフや衣装で人物の相関図や設定などをある程度わかるように工夫する必要があります。最後は暗転して終了するのが一般的ですね。

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しゃべくり漫才とコント漫才

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漫才を見ていると、途中でコントが差し込まれるネタが多くあることに気付きます。筆者のお気に入りの芸人ではサンドウィッチマンやNON STYLEが頻繁にこの手法を使っていますね。基本は漫才なのに会話の流れでコントが入るものを「コント漫才」と言います。この項ではしゃべくり漫才とコント漫才の違いについて確認していきましょう。

しゃべくり漫才とは

元祖の漫才のスタイルはこのしゃべくり漫才です。読んで字の如く、最初から終わりまで演者たちの話芸と掛け合いだけで観客を楽しませます。時事や流行や巷説などを話題に雑談を始めて、次第にボケが頓珍漢なことを言い出し、相方がツッコミを入れるというのが共通した展開です。

漫才は古来からある伝統芸能(当時の表記は万才)ですが、現代のように娯楽性を高めたものが登場するのは明治時代になってから。当時の演者は和服を着用し、鼓などを打ち鳴らして演じていました。1930年に吉本興業の横山エンタツ・花菱アチャコがスーツで舞台に上がり、話芸のみで行う今のスタイルを作り上げたのです。

コント漫才とは

漫才中に演者たちがごっこ遊びをするのがコント漫才です。コント漫才の導入は漫才と同じで挨拶や自己紹介。その後「刑事になってみたいからお前は犯人の役をやってくれ」「もしものときに備えて謝罪会見の練習をしたい」など、これから始まる寸劇の設定に触れてからそれぞれが役を演じ始めます

コントと違うのは、ごっこ遊びがスムーズにいかないときに一旦漫才に戻ってツッコミを入れられること。同じシーンを何度も繰り返すことも可能です。ネタの終わりには再び漫才の形式に戻り、お決まりのセリフで締めくくります。

コントで演じたネタを簡易化させてコント漫才として披露するパターンもありますね。

漫談・落語との違い

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漫才と同じ話芸として漫談や落語が挙げられます。漫才と漫談はなんとなく似たような立ち位置にある気がしますが、その違いは何なのでしょう。同じように語りで観客を笑わせる落語との違いも一緒に解説していきます。

漫才と漫談の違いは?

まず、そもそも漫談とは何かを説明しましょう。漫談は漫談家が時事ネタや社会風刺、馬鹿馬鹿しい話を観客に語って聞かせる演芸です。無声映画が主流だった時代、映像に合わせて解説やセリフを入れる活動弁士という仕事がありましたが、日本でもトーキーが普及するにつれて、彼らの仕事は衰退してしまいます。仕事がなくなった活動弁士たちがその話術を生かして寄席の高座に立ったことが、漫談の始まりです。

漫才と漫談のもっとも大きな違いは演者の人数。漫才はボケとツッコミの2人が会話形式でネタを展開させますが、漫談は1人で観客の興味を引くような話を面白おかしく語ります。有名な漫談家である綾小路きみまろの「あれから30年!」は中高年層に非常に高い人気を誇っていますよね。そのほか、ウクレレやギターを持って演奏しながら漫談するスタイルもあります。

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漫談と落語の違いは?

漫才と漫談の違いについて演者の人数を挙げましたが、同じく1人で語る話芸に落語があります。落語の歴史は非常に古いのですが、大衆的な娯楽として成立したのは江戸時代。声色や仕草だけで何人もの役を演じ分けながら落ちのある話を語る伝統芸能です。

漫談は基本的に演者は立ったままで話し、高座上を移動することもあります。衣装も派手なスーツから和服まで多種多様。それに対し落語は座布団に座り、着物に羽織という出で立ちです。話す内容にも違いがあり、世間話のような体裁の漫談に比べて、落語で語られるのはストーリー性が高く、洒落や言葉遊びのきいた落ちがある滑稽噺が大半となっています。それ以外にも夫婦や親子の情を語る人情噺があるほか、歌手の米津玄師が怪談噺の代表格である『死神』という演目を歌にして話題となりました。

人気のあのネタは漫才?それともコント?

漫才とコントの違いがはっきりしたところで、人気や評価の高いネタが漫才なのかコントなのかを確認していきましょう。わかりやすい特徴があるものを選んだので、その特徴も一緒に解説します。

かまいたちの『UFJ・USJ』は漫才! 

かまいたちの『UFJ・USJ』はネット上でも評価の高いネタです。銀行のUFJとテーマパークのUSJを言い間違えたボケ担当の山内健司が、そのミスをツッコミ担当の濱家隆一になすりつけようとしたことで、2人が大喧嘩をするというモノ。2019年M-1グランプリの1stラウンドで披露され、審査員全員が90点以上を出しました。この漫才では水掛け論を終わらせるために「お客さんにどっちが間違ったのか聞こうや!」とのセリフがあり、観客がいることを意識した漫才の特徴がよく表れています

ちなみに2019年M-1の優勝者はミルクボーイ。オカンが忘れた好きな朝食の名前を考える『コーンフレーク』というネタも、世代を問わず楽しめるしゃべくり漫才です。

東京03の『旅行』はコント! 

2009年のキングオブコントで優勝した東京03。飯塚悟志、豊本明長、角田晃広からなるトリオで活躍しています。サンドウィッチマンやジャルジャルを抑えて優勝したのは『旅行』というコントで、男性2人と女性1人が旅行に行くものの、男性1人の失恋から雰囲気が悪くなるというネタです。序盤の「3人で旅行なんて大学以来か」というセリフで彼らの関係性を自然に説明しており、コントに特化した東京03の巧みな技術が光っています。演者が女装しているというのも、漫才ではできない演出の一つですね。

サンドウィッチマンの『街頭インタビュー』は漫才でありコント!

「面白い」や「高感度の高い」芸人として常にランクインしているサンドウィッチマン。2007年のM-1グランプリで敗者復活戦からの優勝を遂げてから、現在でも非常に人気の高い漫才コンビです。そのM-1で披露した『街頭インタビュー』は、ボケ担当の富澤たけしがツッコミ担当の伊達ミキオに街頭インタビューへの協力を依頼するというネタ。抱腹絶倒のインタビューが続く知名度の高いネタですが、これはコント漫才とコントの両方のバージョンがあります。それぞれ少しずつセリフや設定が変わっているので、見比べるのも面白いですよ。

\次のページで「笑う門には福来る!」を解説!/

笑う門には福来る!

作業用BGMとして漫才やコントを流していたのに、気付けば作業そっちのけで画面に見入っていた経験はないでしょうか。日本でのお笑いブームは収まることを知りません。動画投稿サイトなどの進化も追い風となり、芸風やネタもますます多様化してきました。何が面白いと感じるかは人それぞれです。今後、漫才やコントの魅力はそのままに、新しい演芸が生まれるかも知れませんね。笑う門には福来たる。日本を明るくするお笑いの世界が発展することを願って止みません。

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言葉雑学

人気のあのネタは漫才?コント?漫談や落語との違いまで雑学オタクライターが徹底わかりやすく解説!

1980-82年にかけて漫才ブームが到来してから、日本では多くのお笑い芸人たちがお茶の間を賑わせてきた。芸人によってその手法はさまざまですが、そのなかでも「漫才」と「コント」は二大演芸です。この記事ではそんな「漫才」と「コント」の違いを、漫才好きのWebライターおとのと一緒に解説していきます。

ライター/おとの

動画サイトの公式チャンネルで漫才や落語を見るのが趣味の雑学オタク。学生時代、講義で見た落語の『蒟蒻問答』があまりにも面白く、生徒の大多数が寝ているなかで一人だけ笑っていた。

漫才とコントの違いはコレ!

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漫才とコントの違いを端的に説明すると、話術で笑わせるのが「漫才」で、お芝居で笑わせるのが「コント」です。漫才はスタンドマイクの前に立ち、演者が自分自身のままで掛け合いを始めます。それに対しコントは幕が上がった瞬間から設定と配役に沿ったキャラクターになりきって寸劇を演じるのです。以下で、それぞれの特徴について解説していきます。

漫才は話術

漫才とは、演者同士の話術や掛け合いによって観客を笑わせる演芸です。突拍子もないことや的外れなことを言うボケに対し、テンポ良く訂正や批判を入れるツッコミという役割があることから、漫才の多くはコンビで演じられます

以前は言葉でツッコミを入れると同時にボケの胸や頭を叩くのが漫才のイメージとして定着していましたが、近年はこのようなやや荒っぽく見えるスタイルは少なくなりましたね。あえてツッコミを入れなかったりボケに同調したりする新しい形式も出てきました。

コントは寸劇

コントは「寸劇」を意味するフランス語。劇である以上、舞台上で世界は完成しています。登場人物はあくまでも自分の日常を過ごしているつもりで、滑稽な出来事が発生するのです。衣装や小道具などを使ってお芝居の世界観や設定を表現することも可能なので、演者は1人でも複数人でも成立します。

コントのなかでもボケとツッコミの役割があることがほとんど。しかしアンジャッシュに代表されるように、些細な食い違いからお互いにとんでもない勘違いをするといった、従来の役割が存在しないネタもあります

漫才とコントの演出の違い

漫才とコントでは演出方法も異なる部分が多くありますが、それは演者と観客の関係の違いと言えます。

演者と観客が同じ空間にいることを前提としている漫才は、登場後に自己紹介や挨拶から始まるのが基本です。漫才の最中にお客さんに話しかけることや会場の空気感をいじることも可能。「今は高座で漫才をやっている」という事実を観客と共有するのです。ネタの最後は「もう良いわ」等の締めのセリフとお辞儀で終わります。

一方のコントは、演者と観客がいるのは別の世界演者扮する登場人物に観客は見えていませんし、自分たちがコントを演じているとは思っていないのです。開幕と同時にお芝居が始まるため挨拶などはありません。また、セリフや衣装で人物の相関図や設定などをある程度わかるように工夫する必要があります。最後は暗転して終了するのが一般的ですね。

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