「グリコ・森永事件」とは、1984年~1985年にかけて連続して起きた企業への恐喝事件・関係者の誘拐事件の総称です。その犯行の奇抜さやマスコミの報道効果も相まって当時大きくニュースに取り上げられている。今回はこの事件の概要と、後世に語り継がれている背景について文系ライターのけさまると一緒に解説していきます。

ライター/けさまる

普段は鉄鋼系の事務をしながら、大学時代の人文学科での経験を生かして執筆活動に取り組む。学生時代の研究テーマはイスラーム文化について。

「グリコ・森永事件」とは?

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「グリコ・森永事件」とは1948年から1985年にかけて関西地方で大手食品メーカーを標的に起きた事件です。大手菓子メーカー「江崎グリコ」社長の誘拐事件に始まり、複数の食品会社に脅迫状が送りつけられました。そして実際に食品への毒物混入が確認され、当時の社会に衝撃を与えました。大胆な犯行であったにもかかわらず捜査は難航。そして2000年、とうとう全ての事件に時効が成立し、永久に未解決事件となったのです。

<時代背景>1980年代中頃の日本

事件が起こった1980年代前半は、日本がまさに消費社会へと変貌していった時代です。80年代=バブル景気を思い浮かべる人も多いかもしれませんが、バブル経済は1985年の「プラザ合意」から1991年ごろまでの社会現象なので、1980年代中頃までは「バブル前夜」の時代と言えるかもしれません。

1982年にはパソコンが、翌年1983年にはインターネットが誕生し、情報化への大きな一歩を踏み出した時代でもあります。

<時代背景>1980年代のマスメディア

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1980年代当時、インターネットはまだ日常生活には普及しておらず、人々の情報源には新聞や、ラジオ、特にテレビといったツールが一般的でした。そしてこの頃からテレビニュースの娯楽化、すなわち、国際的なニュースや、政治・経済の情報よりも、もっと国民の関心を集めやすいニュースを集める傾向が強くなっていると指摘されています。

関心を集めやすいニュースに含まれるのはスポーツや芸能、そして今回のような犯罪に関するニュースも然り。本事件が人々の記憶に残っているのには、こうしたマスコミを中心とするメディアの集中的な報道が目立つようになった時代背景も関係していると考えられます。

\次のページで「事件の概要」を解説!/

事件の概要

「グリコ・森永事件」は主に3つの事件の総称として用いられます。時系列で見ていくと、まず最初の事件は「江崎グリコ」社長の誘拐事件、次に複数の大手食品メーカーへの脅迫状、それと時を同じくして、食品への毒物(青酸ソーダ)の混入事件が発生。ただし、いずれの事件も死者や重傷者がでることはありませんでした。

「江崎グリコ」社長誘拐

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最初の事件が起こったのは1984年3月のことでした。夜間、「江崎グリコ」社長宅に二人の男性が勝手口から家に押し入り、社長の実母、夫人、長女を後ろ手に縛ると、長男、次女と入浴中だった社長をそのまま誘拐。翌日、身代金10億円と近海100キログラムを要求する脅迫状が届きます。しかし、引き渡し場所に犯人が現れることはなく、事件から3日後、社長自ら監禁場所を脱出し、無事に保護。身代金が犯人の手に渡ることもなく、社長は無事帰還したのでした。

複数の食品会社への脅迫

誘拐事件から約半月後江崎宅に脅迫状が届き、指定場所に6,000 万を持ってくるよう要求されました。現金受け渡し場所に警察が張り込むもやはり犯人は現れず。その後も最大3億円を脅迫状にて要求するも、犯人たちがそのお金を手に入れることはありませんでした。その後、犯人グループは他の食品会社へ狙いを移し「丸大食品」、「森永製菓」「ハウス食品」などにも大金を要求する脅迫状を出しましたが、結局実際にそれらが引き渡されることはありませんでした。

食品への青酸混入

複数の企業へ脅迫状が送りつけられていたのと同時期にあたる1984年10月、「森永製菓」のお菓子に青酸ソーダが混入されているのが発見されました。青酸入りのお菓子が発見されたのは大阪、京都、兵庫、愛知、のスーパーやコンビニなどで合計13個その製品にはいずれも「どくいり きけん たべたら しぬで」と書かれた紙が貼られていました。

その後1985年2月にはバレンタインデー粉砕を主張する脅迫状が届き、「どくいり きけん」と書かれたラベルの貼られた青酸入りチョコレートが相次いで発見されました。その際の被害はそれまで標的にされていなかった企業のチョコレートにも。幸い、青酸入り菓子を誤って食べて命を落とした人はいませんでした。

事件の終結

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1985年8月、「ハウス食品工業」への脅迫事件で不審車両を取り逃がした滋賀県警本部長がそのミスを苦に、自身の退職の日に公舎の庭で焼身自殺をするという事件が起こりました。その数日後犯人側から終息宣言が届きます。その内容は、事件の終息が自殺した本部長への香典代わりというものでした。

そしてその同日、「ハウス工業」の社長が搭乗していた航空機が墜落事故を起こし、社長はその事故の犠牲となりました。この墜落事故と一連の事件に関係があるのかは不明ですが、それ以降、同一犯とみられる事件は発生していません

犯人の目的とは

通常、誘拐事件、恐喝事件であれば目的は身代金等の金銭であることが一般的。そしてその金銭を確実に手に入れるために極力秘密裏に動こうとする心理が働くものです。しかし、この「グリコ森永事件」においては全く逆の手法が使われています。

そのため、犯行動機についても様々な憶測が飛び交いました。事件による株価への影響を狙ったものではないか、実は企業と裏取引があったのではないか…。事件が時効を迎えた今、真相は謎のままですが、犯人から届いた挑戦状に裏取引のもちかけを匂わせる文章があったことからやはり金銭目的だったのではという説が一般的に有力とされています。

犯人像への注目

犯人は複数人のグループであったと考えられています。彼らは自らを「かい人21面相」と名乗り警察の捜査班を挑発するような、話し言葉のひらがなで書かれた文書を企業、警察、マスコミに次々と送り付けました。時には捜査にヒントを与えるような文書を送ることも。また、実行犯と思われる一部の人物の似顔絵がその見た目から「キツネ目の男」としてメディアで度々取り上げられ、警察のみならず、日本中がその似顔絵の男性に注目していました。

\次のページで「果たして犯人の心理とは?筆者の見解」を解説!/

果たして犯人の心理とは?筆者の見解

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先にも述べたように、犯人の第一の目的は金銭を手に入れることであったと考えられていますが、それだけではないでしょう。それは度々送られている各機関への挑戦状ともとれる文書の内容から読み取れます。その特徴的な点は、常に警察や企業の社長といったいわゆるエリートと言われる人たちを挑発する、もしくは見下すような内容であるものの国民全体に対する憎悪といったものが見受けられないこと。むしろ、現状のあり様では模倣犯が大量に現れる、という警告を出している文書を出すという有様です。

ここから読み取れるのは、一般にエリートと言われる人々に対して、自身を卑下するような階層意識が強く働いているということ。そしてその反発から、ただ金銭を手に入れるだけでなく自身の優れた力を誇示しなければ気が済まない、そのような心理が今回の犯罪につながっていると考えられます。

その後・時効成立まで

終息宣言後、この事件の模倣犯が現れるようになりましたが、実際の犯人グループの手がかりにはつながりませんでした。1994年に最初の「江崎グリコ」社長誘拐事件が時効を迎え、捜査体制は大幅に縮小されました。その後、2000年には一連の事件が全て時効を迎え、とうとう未解決事件となりました。

模倣犯の急増

この事件以降、食品に毒を入れる、企業を脅す、怪人○○と名乗る、といった模倣犯が出現しています。特定の模倣犯罪というよりもニュースなどで見覚えのあるパターンに思えるかもしれません。しかし、こうした報道を利用して社会を巻き込むような犯罪が見られるようになったのもこの頃から。模倣的な犯罪が続くという事はすなわち、新たな犯罪の形を作ってしまったと言い換えることもできるのです。

時効成立へ

事件が未解決のまま最後の時効を迎えたのは、今から20年以上前の2000年2月13日でした。この事件の捜査に携わった捜査員は130万1千人、捜査対象は12万5千人とも。犯行に使用された道具と同じ製品を使用していたことから芸能人が一時的に捜査対象になったこともありました。

以上が、一連の事件の流れです。事件は未解決のまま時効を迎え、謎が多く残される一方で、実際の現金の受け渡し現場では実行犯と思われる人物を捜査員が目撃していながら聴取、逮捕に至らなかったことまで犯人側からマスコミへ文書が届き、警察はメディアを始め国民から当時大きな非難を受けました。

後世への影響

この事件のようにマスコミを利用し、常に観衆がいる状態を作り上げる犯罪は「劇場型犯罪」とよばれます。「グリコ森永事件」は後に劇場型犯罪の1例目であり、かつ代表的な事件として扱われるように。時効を迎えて10年以上が経過したのちにも、取材を続けてきた成果が書籍として出版されたり、また、事件を題材とした二次創作作品が発表されたりと未だにその影響を残していると言えます。

「消費社会」が人質になる現代犯罪

今回のような劇場型犯罪が従来の事件と異なる点のひとつが、不特定多数、国民全体の生活の安全を人質に取られてしまう点。特定の被疑者ー被害者間で完結せず、食品流通のなかに毒物を混入させるという事は、企業の被害よりもむしろ我々の消費生活そのものが被害にあっていると言えます。

昔の村社会のように、流通や、情報メディアが特定の少人数の中で完結していればそもそもこのような国中を巻き込むような犯罪は成立しません。現代の大量消費社会だからこそ起こり得る新たな犯罪の形であると言えます。

\次のページで「社会の都市化と犯罪」を解説!/

社会の都市化と犯罪

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現代型の犯罪と深くかかわっているとされるのが社会の都市化。その特徴として挙げられるのが自己の孤立と匿名性の2点です。まず、都市部では人口は多いものの相互の人間関係は極めて限定的で、地域社会における情緒的な関係は望めません。それにより、互いを表面上の社会的地位や持ち物などから短絡的に判断・比較するようになり社会に対して劣等感を抱き孤立しやすい状況があります。

そして、2つ目は匿名性。上記のような閉鎖的な人間関係では個人主義的な考えに傾倒しやすく互いに無関心な状況といえます。そのため誰かに干渉されることなく大勢の中にまぎれこめる環境が整ってしまうのです。

情報化のリスク

最後に、このころから指摘されているのが現代にも通じる情報化のリスクです。当時はまだインターネットは日常生活にまで浸透していませんでしたが、当時、膨大な情報量がマスコミを媒介して拡散されることで不正確な情報に扇動される社会環境がすでに出来上がっていました。今回の事件はその社会問題を顕在化させたと言えるでしょう。

「グリコ森永事件」は常にマスコミを通じて状況が国民に展開されていました。そのため、上で述べた「大量消費」「都市化」「情報化」といった現代社会の特徴と犯罪リスクの関係性を国民の中で浮き彫りにさせた事件といえるでしょう。

「生活が人質」という衝撃を与えた事件

今回取り上げた「グリコ・森永事件」は二つの点で人々に衝撃を与えました。一つは、「消費社会」が犯罪の人質になり得るということ。そして二つ目は社会の「都市化」「情報化」が犯罪の背景になり得るという事です。どちらも豊かなはずの社会の課題を浮き彫りにしているといえるのではないでしょうか。時効を迎えてからも犯人を追ったルポタージュや、事件を題材にした長編小説等が数多く出版されており、後世への影響の大きさを物語っています。

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現代社会

社会に衝撃を与えた「グリコ・森永事件」犯人像や概要、真相について文系ライターが分かりやすくわかりやすく解説!

「グリコ・森永事件」とは、1984年~1985年にかけて連続して起きた企業への恐喝事件・関係者の誘拐事件の総称です。その犯行の奇抜さやマスコミの報道効果も相まって当時大きくニュースに取り上げられている。今回はこの事件の概要と、後世に語り継がれている背景について文系ライターのけさまると一緒に解説していきます。

ライター/けさまる

普段は鉄鋼系の事務をしながら、大学時代の人文学科での経験を生かして執筆活動に取り組む。学生時代の研究テーマはイスラーム文化について。

「グリコ・森永事件」とは?

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「グリコ・森永事件」とは1948年から1985年にかけて関西地方で大手食品メーカーを標的に起きた事件です。大手菓子メーカー「江崎グリコ」社長の誘拐事件に始まり、複数の食品会社に脅迫状が送りつけられました。そして実際に食品への毒物混入が確認され、当時の社会に衝撃を与えました。大胆な犯行であったにもかかわらず捜査は難航。そして2000年、とうとう全ての事件に時効が成立し、永久に未解決事件となったのです。

<時代背景>1980年代中頃の日本

事件が起こった1980年代前半は、日本がまさに消費社会へと変貌していった時代です。80年代=バブル景気を思い浮かべる人も多いかもしれませんが、バブル経済は1985年の「プラザ合意」から1991年ごろまでの社会現象なので、1980年代中頃までは「バブル前夜」の時代と言えるかもしれません。

1982年にはパソコンが、翌年1983年にはインターネットが誕生し、情報化への大きな一歩を踏み出した時代でもあります。

<時代背景>1980年代のマスメディア

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1980年代当時、インターネットはまだ日常生活には普及しておらず、人々の情報源には新聞や、ラジオ、特にテレビといったツールが一般的でした。そしてこの頃からテレビニュースの娯楽化、すなわち、国際的なニュースや、政治・経済の情報よりも、もっと国民の関心を集めやすいニュースを集める傾向が強くなっていると指摘されています。

関心を集めやすいニュースに含まれるのはスポーツや芸能、そして今回のような犯罪に関するニュースも然り。本事件が人々の記憶に残っているのには、こうしたマスコミを中心とするメディアの集中的な報道が目立つようになった時代背景も関係していると考えられます。

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