
端的に言えば口から高野の意味は「口をつつしまないために大きな失敗をすること」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。
早稲田大学文学部で日本文学・日本語学を学んだぽん太を呼んです。一緒に「口から高野」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/ぽん太
早稲田大学文学部で日本語学と日本文学を学び、中高国語科の教員免許も取得している。これまで学んだ知識を生かして、難解な言葉をわかりやすく解説していく。
「口から高野」の意味は?
「口から高野」を辞書などで検索すると、次のような意味がありました。
口が災いのもとになって高野山で坊主にならなければならなくなる意で、口をつつしまないため大きな失敗をすることにいう。
出典:精選版 日本国語大辞典「口から高野」
「くちからこうや」と読みます。「高野」はたかのではないので注意しましょう。
口が災いの元となって、高野山で坊主にならなければならないという意味です。そこから転じて、口をつつしまないために大きな失敗をすることのたとえとして使われています。
ここでは、出家して高野山へ行くのは大きな失敗で、避けたいこととして挙げられていますね。
和歌山県の高野山にある金剛峰寺は、真言宗の開祖である空海(弘法大師)が開いた真言宗総本山の寺院(出典:ブリタニカ国際大百科事典)です。つまり、高野山に行くとは、とても歴史あるお寺で修行するということになります。金剛峰寺での修行がとても過酷なものであることは想像がつきますね。
「口から高野」は、「日本でも有数の歴史あるお寺で修行して心身を鍛え直さなければならないほどの失言」といったように、高野山を一つのたとえとして用いたことわざと考えられます。
「口から高野」の語源は?
次に「口から高野」の語源を確認しておきましょう。
「口から高野」は「うっかりした言葉がもとで、出家して高野山へ行かなければならなくなる意から(出典:デジタル大辞泉)」できたことわざです。
文献だと、江戸時代の洒落本・繁千話に「口から高野へ参ったかと後悔すれどせんかたなく」という文章で登場しています。
\次のページで「「口から高野」の使い方・例文」を解説!/