今回は、なぜ明治神宮という大きな神社が巨大都市東京のど真ん中に作られたのか、その歴史とともに詳しく説明していこう。

また、歴代天皇はどのように祀られているのかなども、神社仏閣巡りを趣味とする歴史好きライターのタケルと一緒に解説していきます。

ライター/タケル

趣味はスポーツ観戦や神社仏閣巡りなどと多彩。幅広い知識を駆使して様々なジャンルに対応できるwebライターとして活動中。

明治神宮とはどのような場所?

image by iStockphoto

まずは明治神宮がどんな場所なのか、簡単におさらいしておきましょう。

初詣参拝者数日本一の神社

明治神宮は、東京都渋谷区にある神社です。JR山手線原宿駅や代々木駅、東京メトロ明治神宮前駅などからアクセスできる、東京の中央部に位置します。巨大都市にありながら、隣接する代々木公園との一帯は緑が多く、まさに大都会にあるオアシスといえるでしょう。

明治神宮で思い出されるのは、初詣の参拝者数ではないでしょうか。正月三が日には、例年ですと300万人以上もの参拝者が明治神宮を訪れます。多くの人が御利益を求めて参拝する様子は、日本の正月の風物詩と言ってもいいでしょう。また、春と秋の大祭や横綱奉納土俵入りなども明治神宮で恒例の行事です。

都内屈指のパワースポット

明治神宮周辺は、都内屈指のパワースポットが集まるエリアとしても人気です。清正井など有名スポットは後で詳しく取り上げますが、それ以外にもパワースポットは多くあります。

拝殿前にある夫婦楠(めおとくす)も、パワースポットとして知られる御神木です。宝物殿そばの亀石(かめいし)も、長寿や健康に御利益があるとされます。さらに、明治神宮全体がパワースポットだとする意見もありますので、祈願を受けたり御守りや御札などを入手したりするのも良いでしょう。

なぜ東京に明治神宮は作られたのか?

image by iStockphoto

では、なぜ東京のど真ん中に明治神宮は作られたのでしょうか。ここではその理由について詳しく説明していきます。

\次のページで「明治天皇と昭憲皇太后を祀るため」を解説!/

明治天皇と昭憲皇太后を祀るため

神社に祀られている祭神といえば多くの場合が神道などの神様であり、その他には山岳や湖沼などの自然や狐などの動物、または実在の人物であったりします。そして明治神宮の場合、祀られているのは明治天皇とその皇后である昭憲皇太后です。明治神宮は、その2人を祀るための神社として創建されました。

明治天皇の在位中、日本は大政奉還からの王政復古を経て、明治維新の後に立憲君主制国家へと変貌。大日本帝国憲法が公布され、帝国議会が開設されました。日本が国力を蓄えていったときに在位していたのが明治天皇というわけです。また、昭憲皇太后も日本赤十字社やお茶の水女子大学などの設立に大きく寄与しました。

国民からの請願があった

1912(明治45)年に明治天皇が亡くなった際、東京に明治天皇を記念するための施設を構えるべきとの機運が湧き起こりました。銅像や記念碑などの案もありましたが、より崇敬の念を表せるとして、神社を建立するという壮大な計画が決まったのです。場所は、幻に終わった博覧会の会場候補地だった青山練兵場、現在の明治神宮が鎮座する地に決まりました。

明治神宮の造営には全国の青年団などが勤労奉仕という形で加わり、参加者は延べ10万人を超えたと伝えられます。明治神宮とともに外苑も整備され、1920(大正9)年に明治神宮は完成しました。鎮座祭当日には50万人が訪れ、奉祝のムードで賑わっていたそうです。

明治神宮にはどのような歴史があるのか?

image by iStockphoto

創建後の明治神宮にも、様々な逸話が残されています。現代までの歩みを見てみましょう。

太平洋戦争の空襲により焼失

1945(昭和20)年、東京大空襲で相次いで焼夷弾が投下され、明治神宮も被弾。一時は残った建物だけで参拝を受け入れていましたが、終戦までに社殿などほとんどの建物が焼け落ちました

翌年に仮殿が竣工されましたが、新しい本殿が建つのはそれから10年以上も後のことでした。新たに内拝殿を設けるなどして新しい明治神宮に建て替えられ、遷座の儀が執り行われたのは1958(昭和33)年のことです。昭和天皇が参拝するなど、奉祝行事は盛大に行われました。

令和2年で鎮座100年を迎えた

2020(令和2)年は、明治神宮鎮座100年という節目の年でした。ただし、感染症対策のため賑々しい行事は控え、花火を打ち上げた以外は厳粛なものとして行われました。原宿や表参道といった周辺地域でも、提灯や記念フラッグを掲げる程度というささやかなものでした。

しかし、令和の時流に乗ったことも行われています。直接参拝に行けなかった人々のために、創建100年祭は動画配信という形でその模様が伝えられました。2000年代から収集家が増えている御朱印と御朱印帳も、100年祭を記念したものが頒布されています。

他にも気になる明治神宮の「森」「鳥居」「井戸」の歴史

image by iStockphoto

明治神宮には、「森」「鳥居」「井戸」にも興味深い歴史があります。なぜパワースポットと呼ばれているのかについても説明していきましょう。

\次のページで「明治神宮とその周辺の森は同時に作られた」を解説!/

明治神宮とその周辺の森は同時に作られた

明治神宮が作られる前、その一帯は大半が畑でした。木は全国から集められ、約10万本の木が植栽されました。よって、いわゆる「明治の杜」は人工的に造営されたものとなります。それでも、造営当初から綿密な計画のもとで百年先、つまり現在の姿を見越して作られた「永遠の森」です。

1945(昭和20)年の空襲により明治神宮の大半が焼失しましたが、森は大きな被害を免れました。そのことが、明治の杜をパワースポットと信じる理由の1つになっています。また、森の内部を調査したところ、珍しい生物の発見や木々の成長が想定よりも早いことなどが分かりました。それを明治の杜に良い「気」が流れているからだと考えている人もいます。

神聖な世界への入口である大鳥居

JR原宿駅から明治神宮に向かったときに、すぐに目に飛び込むのが大鳥居ではないでしょうか。高さ約12メートル柱の直径約1.2メートルは、国内屈指の大きさを誇ります。樹齢1500年ほどの台湾産のヒノキでできているため、木の生命力を感じ取れるかもしれません。

鳥居は人間界と神聖な世界とを分ける境界線だと言われます。鳥居をくぐることは神聖な場に入ることを意味し、それと同時に穢れを払うという意味もあるのです。明治神宮に一歩足を踏み入れた瞬間に、パワースポットに到着したとも言えます。ただし、鳥居をくぐる前に軽く一礼するなどの作法もありますので、あらかじめ調べておくと良いでしょう。

清正井を作ったのは加藤清正なのか?

「清正井」と書いて「きよまさのいど」と読みます。清正井の写真を取り、それをスマホの待ち受け画面にするだけで運気が上がるとも言われる、明治神宮でも一二を争う人気のパワースポットです。

清正井の「清正」とは、戦国武将の加藤清正を指します。天然水が湧く正真正銘の井戸ではありますが、実際に加藤清正が掘ったものであるかどうか定かではありません。しかし、その土地がもともと加藤家所有のものであり、加藤清正は「築城の名人」と讃えられたほど土木事業に優れた人でした。よって、「清正井」が加藤清正の手によるものと考えても不思議ではないでしょう。

なぜ大正神宮や昭和神宮は存在しないのか?

image by iStockphoto

では、なぜ大正神宮や昭和神宮が存在しないのでしょうか。それには各々の事情があります。

大正天皇の場合は機運が高まらなかった

明治天皇の在位は約45年と歴代天皇の中でも長く、しかも在位中に王政復古や大日本帝国憲法公布など、時代の移り変わりが激しい時代でした。そのような時代の天皇を崇敬することは、当時の国民とっては当然のことであるといえるでしょう。

しかし、大正天皇の場合は、国民から大正天皇を祀るための神社を建立しようという機運が起こりませんでした。即位中のほとんどが病気療養のため、公務が難しい状態にあったのです。よって、国民は大正天皇の人柄などをよく知らぬままだったため、大正天皇を記念するためのものを作ろうという世論が盛り上がりませんでした。

昭和天皇は人間宣言したため

昭和天皇の在位は60年以上と長く、その間は終戦や経済成長など、日本が激変した時代にありました。また、特に終戦後は全国を行幸するなど、広く国民の敬意を集めていたといえます。ならば、いわゆる「昭和神宮」があっても不思議ではないのですが、そういったものはありません。

大きな理由は、戦後に天皇自らが行った「人間宣言」によります。かつて天皇は、畏敬の念をもって神格化されていました。ですが、終戦後に公布された日本国憲法により、天皇は日本国民の象徴に変わったのです。そうしたことから、人間宣言をした昭和天皇を神社で祀ることはそぐわないという考えが生まれ、現在まで「昭和神宮」は建立されていません。

\次のページで「歴代天皇はどう祀られている?」を解説!/

歴代天皇はどう祀られている?

image by iStockphoto

では、歴代天皇はどのように祀られているのでしょうか。実は明治天皇のケースはまれなのです。

神宮とは天皇を祀る神社のこと

明治天皇と昭憲皇太后を祀る神社が「明治神社」や「明治大社」ではなく、「明治神宮」という名前なのには理由があります。それは、神社の名前にははっきりとした違いがあるからです。

まず、一般的なものが「神社」であり、それよりも格式が高いとされるものを「大社」と呼びます(島根県の出雲大社など)。そして、歴史上の人物や皇室の関係者が祀られているものに「宮」の社号が使われ(福岡県の太宰府天満宮など)、その中でも歴代天皇やその祖先などを祀ったものが「神宮」と呼ばれることを覚えておくと良いでしょう。

天皇が祀られている神宮は意外に少ない

たとえば神武天皇を祀る橿原神宮(奈良県)や、桓武天皇と孝明天皇を祀る平安神宮(京都府)など、歴代天皇を祀る神宮はいくつか存在します。しかし、全国には神宮が24社しかありません。複数の天皇を祀る神宮もあるとはいえ、120代以上続く天皇は、意外にも大半が神宮に祀られていないことになります。

特に武家が実権を握っていた鎌倉時代から江戸時代中期にかけて在位していた天皇で、神社に祀られているのは吉野神宮の後醍醐天皇くらいしかいません。それだけ当時は天皇の権威が落ちていたともいえます。よって、明治天皇が明治神宮に祀られているのは、皇室の権威が再び高まったことの証と言い換えられるのかもしれません。

明治神宮のことをもっとよく知って参拝してみよう!

明治神宮は、明治天皇と昭憲皇太后を祀るという、日本でも極めてまれな神社です。明治天皇への崇敬の念が、明治神宮という形になって具現化されました。単なるパワースポットとして訪れるのではなく、明治神宮の歴史的な背景を知った上で今一度参拝してみましょう。

" /> 3分で簡単「明治神宮」なぜ東京に作られた?歴史は?歴代天皇はどう祀られてる?歴史好きライターがわかりやすく解説 – Study-Z
現代社会

3分で簡単「明治神宮」なぜ東京に作られた?歴史は?歴代天皇はどう祀られてる?歴史好きライターがわかりやすく解説

今回は、なぜ明治神宮という大きな神社が巨大都市東京のど真ん中に作られたのか、その歴史とともに詳しく説明していこう。

また、歴代天皇はどのように祀られているのかなども、神社仏閣巡りを趣味とする歴史好きライターのタケルと一緒に解説していきます。

ライター/タケル

趣味はスポーツ観戦や神社仏閣巡りなどと多彩。幅広い知識を駆使して様々なジャンルに対応できるwebライターとして活動中。

明治神宮とはどのような場所?

image by iStockphoto

まずは明治神宮がどんな場所なのか、簡単におさらいしておきましょう。

初詣参拝者数日本一の神社

明治神宮は、東京都渋谷区にある神社です。JR山手線原宿駅や代々木駅、東京メトロ明治神宮前駅などからアクセスできる、東京の中央部に位置します。巨大都市にありながら、隣接する代々木公園との一帯は緑が多く、まさに大都会にあるオアシスといえるでしょう。

明治神宮で思い出されるのは、初詣の参拝者数ではないでしょうか。正月三が日には、例年ですと300万人以上もの参拝者が明治神宮を訪れます。多くの人が御利益を求めて参拝する様子は、日本の正月の風物詩と言ってもいいでしょう。また、春と秋の大祭や横綱奉納土俵入りなども明治神宮で恒例の行事です。

都内屈指のパワースポット

明治神宮周辺は、都内屈指のパワースポットが集まるエリアとしても人気です。清正井など有名スポットは後で詳しく取り上げますが、それ以外にもパワースポットは多くあります。

拝殿前にある夫婦楠(めおとくす)も、パワースポットとして知られる御神木です。宝物殿そばの亀石(かめいし)も、長寿や健康に御利益があるとされます。さらに、明治神宮全体がパワースポットだとする意見もありますので、祈願を受けたり御守りや御札などを入手したりするのも良いでしょう。

なぜ東京に明治神宮は作られたのか?

image by iStockphoto

では、なぜ東京のど真ん中に明治神宮は作られたのでしょうか。ここではその理由について詳しく説明していきます。

\次のページで「明治天皇と昭憲皇太后を祀るため」を解説!/

次のページを読む
1 2 3 4
Share: