
端的に言えば仏も昔は凡夫なりの意味は「誰でも仏道に精進すれば仏になることができる」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。
漢検準一級を保有しており言葉に詳しいたきじを呼んです。一緒に「仏も昔は凡夫なり」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/たきじ
国立大学卒、漢検準一級保有のライター。高校時代の得意科目は国語と英語。漢字の意味やことわざ、熟語が好きで、新しい言葉を覚えるのが得意。
「仏も昔は凡夫なり」の意味や語源・使い方まとめ

「仏も昔は凡夫なり」ということわざをご存知でしょうか。普段耳にすることはなかなかないことわざだと思いますが、なんとなく意味をイメージできそうな言葉ですよね。一体どんな意味や語源を持っているのでしょうか。
それでは早速「仏も昔は凡夫なり」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。
「仏も昔は凡夫なり」の意味は?
「仏も昔は凡夫なり」には、次のような意味があります。
1.仏ももとはごく普通の人間であったのだから、修行を積めば誰でも仏になることができるということ。
出典:デジタル大辞泉(小学館)「仏も昔は凡夫なり」
「仏も昔は凡夫なり」は(ほとけもむかしはぼんぷなり)と読みます。お釈迦様も元々は煩悩の多い凡人だったが修行を積んだことにより悟りを開くことができたのだから、誰でも精進すれば仏になることができるという意味のことわざです。
誰でも修行を積むめば仏になることができるという意味合いですが、凡人でも正しく努力をすれば目標を達成できるという広い意味で使うこともできます。
「仏も昔は凡夫なり」の語源は?
次に「仏も昔は凡夫なり」の語源を確認しておきましょう。
「仏」とは「釈迦」のことを指します。「仏も昔は凡夫なり」ということわざの出典は『平家物語』で、祇王という人物が平清盛の命令で歌った今様の中の一節です。「仏も昔は凡夫なり われらも終には仏なり いずれも仏性具せる身を 隔つるのみこそ悲しけれ」と続きます。
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