暗夜行路とは志賀直哉によって書かれた長編小説です。主人公の時任謙作が抱える苦悩を中心に描かれ、時代を超えてなお多くの人に読まれている。今回はこの小説の作者や時代背景とともに本作のあらすじ、運命に翻弄されながらも純粋な愛を掴もうとする主人公の半生を追っていく。それじゃあ、本作のファンだというライターのけさまると一緒に解説していきます。

ライター/けさまる

普段は鉄鋼系の事務をしながら、大学時代の人文学科での経験を生かして執筆活動に取り組む。学生時代の研究テーマはイスラーム文化について。

暗夜行路とは?

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暗夜行路は作家・志賀直哉によって書かれた長編小説。主人公である作家・時任謙作の苦悩とそれを取り巻く女性関係を中心にその半生が描かれています。雑誌「改造」での連載が始まったのが1921年、それから完成までに20年近い歳月を費やしました。現在では、近代文学を代表する作品の一つです。

<時代背景>1920年代当時の日本社会

本作の連載初期である1920年代は第一次世界大戦の勃発や、産業技術の発展に伴う世界的な転換期。日本でも1925年に関東大震災が発生し、首都東京は新しく生まれ変わるという激動時代です。人々の生活においては「男性は外で仕事をし、女性は家を守る」という価値観が大変色濃い時代でしたが、同時に女性の就職という選択肢も一般化し始めました。中流・上流家庭では家事をしてもらうための女中(住み込みの家政婦さん)を雇うのも一般的でした。

<時代背景>1920年代の文学思想

当時の日本文学においては「自然主義」と呼ばれる自己否定傾向の強い作品が文学の主流でした。代表作としては、部落出身の身分を明かさないよう生きていく苦悩を描いた、島崎藤村の「破壊」や、自身に師事していた女学生に恋をする中年男性の内面を描いた「蒲団」といった作品が代表的。やがてこの自己否定傾向に対抗する形で頭角を現してきたのが、「暗夜行路」を含む「白樺派」の小説でした。白樺派についてはこのあと詳しく解説しています。

作者は“小説の神様”

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不明 - 角川書店「昭和文学全集7巻(1953年2月発行)」より。, パブリック・ドメイン, リンクによる

作者である志賀直哉は明治から昭和にかけて活躍した白樺派を代表する作家です。その実力は「小説の神様」とも称されるほど。彼が初めて筆を執ったのは中等科時代のこと。生涯の友となる武者小路実篤と出会ったのも中等科時代でした。小説家志望を固めたのは高等科に入学後のこと。女義太夫に当時熱中していたことがきっかけでした。

やがて東京帝大在学中に他の作家仲間とともに雑誌「白樺」を立ち上げ、作品を掲載していくようになりました。また、その生涯で23回も引っ越しをしており、各地に旧居跡が残されています。

白樺派と志賀直哉

白樺とは、前出のとおり志賀直哉を含む学習院大学の学生によって作成された同人誌です。そして、この同人誌に作品を掲載した作家、その作品の影響を受けた作家も含めて「白樺派」と呼ばれています。当時学習院大学の学生だった志賀直哉、彼の親友だった武者小路実篤もともに白樺派を代表する人物です。彼らの作品は当時若い青年たちから大きく支持されていました。

\次のページで「唯一の長編小説:暗夜行路」を解説!/

唯一の長編小説:暗夜行路

暗夜行路は志賀直哉の書いた唯一の長編小説で、それ以外は全て短編小説です。本作の執筆が始まったのは1921年。前編は順調に掲載されましたが、後編は次第に難航し断続的に掲載されるようになります。そして、あと原稿用紙に80枚で完結というところからなんと9年間、暗夜行路の原稿は放置。その後全集の刊行をきっかけに完成。本作のほか、短編小説の代表作としては「或る朝」「網走にて」「城崎にて」等。どの作品も日常性のなかの豊かな心理描写が魅力です。

あらすじ<前編>下女への恋心と自身の生い立ち

主人公の謙作は幼馴染の愛子に結婚を申し込むも納得のいかない形でとん挫して以降、また同じような失望を味わうのを恐れ、誰かを愛することにおいて用心深く、臆病になっていました。そして次第に満たされない感情を埋めるべく謙作は放蕩するように。遊郭に行くもやはり心は埋まらず自己嫌悪に陥る、そんな日々を繰り返しから物語は始まります。

その1.下女への恋心を抱えたまま広島へ

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やがて放蕩と自己嫌悪のなかで謙作は、自分が下女のお栄を愛していることに気付きます。謙作は子どものころに実家から今は亡き祖父の家に預けられそこで育つのですが、その家に当時から下女として祖父とともに暮らしていたのがお栄でした。年齢は謙作より二回りほど年上で、長い間祖父の妾でもありました。そして謙作の祖父が亡くなったあとも、謙作の下女として住み込みで働いていました。

謙作はお栄への気持ちを一人になって見つめなおすため、単身で尾道へ行くことを決めます。尾道での生活は当初快適で、落ち着いた日々を送っていましたが、ひと月ほどでその生活の単調さに苦痛を感じるようになり、やがて孤独を感じるようになりました。そしてその孤独から謙作は自身が本気でお栄のことを愛していることを自覚します。そして、帰京し、お栄との結婚を進めることに希望を見出していくのでした。

その2.自身の生い立ちを知る

信行からの手紙に書かれていたこと。それは、謙作が本当は、母と祖父との間に生まれた子どもであること。そして、実の父親の妾だった女性との結婚には賛成できないということ。この二点が、信行自身の苦悩とともにしたためられていました。これはその原文の一部抜粋です。

 (中略)一時は崖から突き落とすような事ではあるが、思い切って書かねばならぬと決心した。お前は母上と祖父上の間にできた子供なのだ。(中略)おれはお前がそういうのろわれた運命のもとに生まれたと聞いた時、ずいぶん驚きもし、暗い気持ちにもなった。そして同じ同胞でどうしてお前だけが別に扱われているのかという漠然とした子供のころからの疑問も溶けた(中略)

手紙にはすぐに尾道から東京へ帰ってくるよう促す内容も書かれていました。謙作はこの手紙を読んで当然混乱します。そして兄・信行に対しては手紙にてもう少し滞在してから帰京する旨、お栄との結婚はもう少し自分で考えたい旨を伝えるのでした。

\次のページで「その3.湧かない気力と葛藤する心」を解説!/

その3.湧かない気力と葛藤する心

その後、気持ちの整理がつかないままの日々を送る謙作。そして、その後もう1通届いた信行からの手紙で、信行が父に今回のお栄との結婚話を明かしてしまい、父の逆鱗に触れたこと、お栄自身には結婚の意思はないことを知らされます。この手紙を読み、謙作は一時的にこの上ない憤りを感じますが、その感情を少し落ち着けてから尾道を引き上げ、お栄のもとへ帰っていくのでした。

しかしその後、お栄と直接結婚の話題に触れることはなく、尾道を引き上げてからも謙作の心は晴れないまま。そして、再び遊郭に通い心の穴を埋めようとするシーンで前編は幕を閉じます。彼の苦悩が表れているのが下記の抜粋部分です。

(中略)お栄に対する心持ちもすでに前とはいくらか変わっていた。なぜ変わったか。それを明らかに言う気はしなかったが、やはり信行が彼に書いたように運命に対するある恐れ、-祖父と母と、そしてまた、祖父の妾と自分と、こう重なって行く暗い関係が何かしら恐ろしい運命に自分を導きそうな漠然とした恐怖がだんだん心に広がっていったのである。

婚約申込からの失恋がきっかけで愛することに疑心暗鬼になっている謙作。その後、お栄に結婚を申し込むも、自身が不義の子であるという事実とともに結婚も破談に。前編では、自身の運命に執着しながら、それを抜け出そうともがく謙作の苦悩が描かれているのです。

あらすじ<後編>結婚と謙作の苦悩

東京での生活にも行き詰まりを感じた謙作は、単身京都に移住。そこでお栄への執着も少しずつ薄れていったころ、偶然通りで見つけた女性に一目ぼれしてしまいます。彼女の名は直子。後に謙作の妻になる人物でした。後編では、直子との結婚生活が主に描かれています。

その1.苦悩を乗り越え新たな生活へ

謙作は友人に、直子との仲を取り持ってほしいと依頼。一方そのころお栄は、彼女の従姉に当たる女性とともに中国の天津へ渡ることに。やがて結婚話は好調に進み、謙作の出生も知った上で、直子は妻となりました。謙作にとってお栄のいない寂しさは残ったものの、その後の穏やかな結婚生活のなかで幸せを感じていました。やがて、謙作と直子の間には長男が誕生し、直謙(なおゆき)と名づけられます。

その2.夫婦の危機

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しかし、ここから二つの事件が起こり夫婦は危機を迎えます。一つは、直謙の病死。そして、もう一つは直子の不貞でした。直謙は生後間もなく丹毒という感染症にかかってしまいます。そして、発病から1か月でこの世を去りました。やっと幸せを掴んだ矢先の出来事に、謙作は自身の運命を呪わずにはいられませんでした。

さらにその事件から立ち直りかけたとき、直子の一夜の過ちが発覚。相手は直子の従兄に当たる人物で謙作の留守中に無理矢理関係を持たされてしまったのです。やがて二人の間に娘の隆子が生まれても妻への苛立ちを隠せず、自己嫌悪に陥る謙作。そんな自分を再び見つめ直すべく一人伯耆の大山を訪れることを決めたのです。

その3.大山での生活と生死の淵での再会

人間関係に疲れ切った謙作は大山での穏やかな日々に次第に落ち着きを取り戻します。そして直子を許せる心境に近づいているのを謙作自身も感じていました。しかし、ある日謙作は大山の山中で急性の大腸炎を起こします。そして、大自然と朦朧とする意識の中で死を身近に感じ、皮肉にも妻と娘への紛れもない愛を実感するのです。

やがて、滞在中の家に何とか戻り医者の手当てを受ける謙作。そこへ知らせを受けた直子が駆けつけ、二人は再会します。意識も朦朧とし生死の間をさまよう夫。しかしその視線は今まで直子が見たこともないほどの慈愛にあふれているのです。直子はそんな夫の手を握り、例え彼がこの後死んでしまおうと、どこまでもついていくのだと強く決心する場面で暗夜行路の物語は幕を閉じます。

\次のページで「2つの考察」を解説!/

2つの考察

今回は、謙作の一人で地方に滞在したときの心情について考察していきます。1点目は尾道で自身の生い立ちを知ったとき、2点目は大山に滞在したときの心情を尾道での状況との比較です。どちらの場面も謙作の何気ない動作の中に心情がよく表れています。

その1.尾道での出来事と謙作の心情

本小説の前編ではこの、尾道滞在中の出来事とそれに伴う心情変化が重要と言えます。「周囲の人から離れて一人になりたい」ために滞在した尾道での生活は、いつしかその単調な日々と孤独が苦痛となっていくのです。やがてその反動でお栄との結婚に前向きになりますが、自身の出生の秘密を知るととともに破談に。

結婚に向けて前向きだった心情から一変、「自分というものがー今までの自分というものが霧のように遠のき、消えていくのを感じた」のです。しかし、同時に兄に対しては努めて冷静に手紙の返事を出しています。理性と感情のせめぎあう中で激怒して叫ぶでもなくただ「おっかさん」と部屋で独り言ちている謙作。こうした描写に主人公のやりきれない感情が込められているといえます。

その2.尾道と大山滞在時の心情比較

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尾道と大山での滞在生活は「人間関係(主に女性関係)に疲れ、一人になるために静かなところに対峙する」という目的が共通しています。しかし、大きく異なるのはその心情変化。先ほど考察した尾道とは違い大山では周りの自然や生き物に目を向け、それを楽しむ余裕も。じつは大山での心情変化を表した一説があります。

ここから読み取れるのは、謙作が「自己への過度な執着を捨て、あるがままを受け入れる」という仏教的な考え方に変化していること。また、尾道の描写に比べると、大山では謙作が空を仰いで景色を見る様子が多く描かれており、執着を捨て目線も前向きになっている様子が分かります。こうした心情の変化についての描写は、作者の志賀直哉が高く評価されているポイントの一つです。

彼は三四年前自身の仕事に対する執着から海上を、海中を、空中を征服していく人間の意志を賛美していたが、いつか、まるで反対な気持ちになっていた。人間が鳥のように飛び、魚のように水中を行くという事ははたして自然の意志であろうか。仕事に対する執着も、そのためいら立つ気持ちもありながら、一方ついに純類が地球とともに滅びてしまうものならば、喜んでそれも甘受できる気持ちになっていた。

人生が100%上手くはいかない登場人物たち

「なんだか全体的に暗かった」「結局謙作は生き延びたのか死んだのか気になる…」「苦悩と葛藤ばかりだった」などなど…皆さん、どんなイメージを持ったでしょう。1度手に取って実際に読んでいただきたい…!というのも、実は今回紹介しきれなかった登場人物がたくさんいるのです…。そして彼らに共通するのは「全てがうまくいった人はいない」ということ。

自身の出生を知り苦しむ謙作、夫への裏切りを後悔する直子もまた然り…。しかし彼らの人生にはその先があるのです。彼らの生き方には自身の欠点と向き合い、苦悩しながらも人生を歩む強さを感じます。効率よく、正しく、正確にといったことが求められる現代ですが「不完全な自分」に時に悩み、ときには許しつつ日々を生きる。その日常もまた素晴らしいと教えてくれているように思います。

" /> 運命に翻弄される男の半生を描く「暗夜行路」とは?あらすじや時代背景・作者など考察を交えて本作のファンが徹底わかりやすく解説! – Study-Z
現代社会

運命に翻弄される男の半生を描く「暗夜行路」とは?あらすじや時代背景・作者など考察を交えて本作のファンが徹底わかりやすく解説!

暗夜行路とは志賀直哉によって書かれた長編小説です。主人公の時任謙作が抱える苦悩を中心に描かれ、時代を超えてなお多くの人に読まれている。今回はこの小説の作者や時代背景とともに本作のあらすじ、運命に翻弄されながらも純粋な愛を掴もうとする主人公の半生を追っていく。それじゃあ、本作のファンだというライターのけさまると一緒に解説していきます。

ライター/けさまる

普段は鉄鋼系の事務をしながら、大学時代の人文学科での経験を生かして執筆活動に取り組む。学生時代の研究テーマはイスラーム文化について。

暗夜行路とは?

image by iStockphoto

暗夜行路は作家・志賀直哉によって書かれた長編小説。主人公である作家・時任謙作の苦悩とそれを取り巻く女性関係を中心にその半生が描かれています。雑誌「改造」での連載が始まったのが1921年、それから完成までに20年近い歳月を費やしました。現在では、近代文学を代表する作品の一つです。

<時代背景>1920年代当時の日本社会

本作の連載初期である1920年代は第一次世界大戦の勃発や、産業技術の発展に伴う世界的な転換期。日本でも1925年に関東大震災が発生し、首都東京は新しく生まれ変わるという激動時代です。人々の生活においては「男性は外で仕事をし、女性は家を守る」という価値観が大変色濃い時代でしたが、同時に女性の就職という選択肢も一般化し始めました。中流・上流家庭では家事をしてもらうための女中(住み込みの家政婦さん)を雇うのも一般的でした。

<時代背景>1920年代の文学思想

当時の日本文学においては「自然主義」と呼ばれる自己否定傾向の強い作品が文学の主流でした。代表作としては、部落出身の身分を明かさないよう生きていく苦悩を描いた、島崎藤村の「破壊」や、自身に師事していた女学生に恋をする中年男性の内面を描いた「蒲団」といった作品が代表的。やがてこの自己否定傾向に対抗する形で頭角を現してきたのが、「暗夜行路」を含む「白樺派」の小説でした。白樺派についてはこのあと詳しく解説しています。

作者は“小説の神様”

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不明 – 角川書店「昭和文学全集7巻(1953年2月発行)」より。, パブリック・ドメイン, リンクによる

作者である志賀直哉は明治から昭和にかけて活躍した白樺派を代表する作家です。その実力は「小説の神様」とも称されるほど。彼が初めて筆を執ったのは中等科時代のこと。生涯の友となる武者小路実篤と出会ったのも中等科時代でした。小説家志望を固めたのは高等科に入学後のこと。女義太夫に当時熱中していたことがきっかけでした。

やがて東京帝大在学中に他の作家仲間とともに雑誌「白樺」を立ち上げ、作品を掲載していくようになりました。また、その生涯で23回も引っ越しをしており、各地に旧居跡が残されています。

白樺派と志賀直哉

白樺とは、前出のとおり志賀直哉を含む学習院大学の学生によって作成された同人誌です。そして、この同人誌に作品を掲載した作家、その作品の影響を受けた作家も含めて「白樺派」と呼ばれています。当時学習院大学の学生だった志賀直哉、彼の親友だった武者小路実篤もともに白樺派を代表する人物です。彼らの作品は当時若い青年たちから大きく支持されていました。

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