落窪物語から分かる平安時代の結婚の仕組み
落窪物語に限らず、平安時代の作品を読むには、平安時代の結婚の仕組みを知ることが必須。結婚の仕組みと制度は時代によってまったく異なります。ここでは、最低限、知っておくと便利なことをまとめました。
「通い婚」と「婿入り婚」
平安時代、結婚の儀式、子供の出産や養育は、すべて母方の一族内で行われていました。通ってくる男のなかから、これはとい男性を現場で取り押さえ、女方の家で作った餅を男に食べさせます。これで見事、結婚成立。婿の生活と生まれる子供の養育すべてを持つのが女方の家。そこで家運をかけて、良い婿を得ようと必死でした。
男のほうからしても、妻の父つまり舅の後ろ盾で出世が決まります。そのためそれなりの力のある家の婿になろうと必死でした。貧しい貴族の女は婿を取ることは困難。ですから、結婚はすべて家と家の政略結婚、純愛など存在しなかったのです。
平安時代の家庭のかたち
妻の家では婿の衣装の世話が重要な義務。藤原道長の妻の母は、86歳で死ぬまで婿道長のために衣服を新調していることが、栄花物語から分かっています。また妻の家が貧しくなり、婿の衣服の世話をできなくなると、婿が家を出て衣服の世話を出来る裕福な家の婿入りすることもありました(大和物語)。
夫が通って来なくなるとすなわち離婚成立。慰謝料も養育費も財産分与も有りませんでした。そのため、妻が経済的に自立することは非常に大切。そのため平安時代は、家と土地は娘が相続し、妻の家で養われる息子には何も渡されませんでした。
落窪物語から平安時代の女性のリアルが見える
落窪物語のヒロインである姫君は、単に性格が優しいだけではなく、裁縫や琴の技術があり、人徳が有り、召使たちに慕われ、十分に自活できる女性でした。まさに理想の女性だったのでしょう。当時の物語の読者は女性。落窪に姫に自らを重ねあわせ、このように生きていれば幸せになれると願ったのかも知れません。落窪物語の姫君は平安時代の女性の理想像。それを通じて女性は何を求められていたのか、現代とは異なる役割を学ぶ機会になるでしょう。