平安時代と言えば枕草子や源氏物語が有名です。その陰に隠れがちですが、ほかにも面白い作品が成立している。そのひとつが落窪物語。当時の貴族社会がリアルに分かる作品です。

それじゃあ、落窪物語とはどんな作品なのか、そこから分かる平安時代の文化などについて、日本史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史や文化を専門とする元大学教員。平安時代のことにも興味があり、気になることがあったらちょくちょく調べている。落窪物語の作者は不明。だからこそ、どうして生まれたのか気になり、調べてみた。

落窪物語とはどんな古典?

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落窪物語の作者は未詳。成立は枕草子以前とされています。根拠は枕草子にその名と内容が記載されていること。おそらく10世紀後半には世に出回ったと推定されています。当時の貴族社会をリアルに描いた物語で、後世の御伽草子(おとぎ草子)に多大な影響を与えました。

落窪物語が成立した時代は一夫多妻制が当たり前

平安時代は一夫多妻があたりまえのことでした。そのため、継母と継子の物語は、この当時の人にとっては身近な問題。父親をめぐって母親同士が嫉妬で衝突する、父親の遺産相続でトラブルになる、そんな境遇によりいじめられ泣いていた子どもはたくさんいました。いっぽう、更級日記に見られるように、実の母子のように仲が良く、継母によって文学の芽を育てられた娘もいました。

落窪物語は継子いじめをテーマとしている唯一の長編小説。主人公は母親が皇族の出身で、高貴な血筋ですが、母が早くに亡くなってしまいます。しかしながら彼女には母方の後見がありませんでした。婿入り婚の時代、夫や子供の生活費を担うのは妻の家。現代の日本とは結婚のかたちがまったく違いました。そのため、母親の後見のない女子の経済力は皆無。継母に苛められることが多かったのです。

落窪物語は継母にいじめられる姫君の話

姫君の父親は中納言忠頼(ただより)。継母に虐待され、寝殿(しんでん・貴族の邸宅の母屋)の片隅の、落窪(おちくぼ)のなかで暮らしていました。落窪というのは、床が一段低くなっている部屋のことです。そのような境遇から、姫君は「落窪の君」という軽蔑的な名前で呼ばれていました。

父親は後妻の言いなり。彼女の見方になってくれたのは阿漕(あこぎ)という名の召使いだけでした。左近少将道頼(みちより)という貴公子が落窪の姫君の評判をききつけ心惹かます。ふたりを結び付けるため、阿漕はさまざまに手を貸してくれました。落窪の姫は脱走、二人は結ばれてヒロインは幸福になりました。でも、物語はここでは終わりません。

貴公子の夫が継母に対して仕返しを企画

夫である少将は愛する彼女のために継母に仕返しをすることに。夫となった道頼のキャラクターは、仕返しという内容ではあるものの、楽しく作られています。お坊ちゃん育ちで出生街道まっしぐら。ついには太政大臣の地位に就いた人物です。しかし、この時代には珍しく、落窪の姫君以外には妻を持たずに一夫一婦を貫きました。

道頼は妻となった姫を苛めた継母とその娘たちを許すことができず、さまざまな罠を仕掛け、幸せにならないように邪魔をします。また、本来は落窪の姫が相続すべきだった邸宅を奪回。しかしながら、心優しい姫君は夫をいさめ、夫も仕返しをやめました。そして、道頼は、今度は手のひらを返したように、継母一家に優しく接するようになります。

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落窪物語を特徴づけるのは「分かりやすさ」

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この作品の登場人物はとても分かりやすいキャラクター。なかでも、欲が深く無慈悲な「あこぎな」性格の継母が生き生きかつコミカルに描かれています。継母の言動は、悪役として誇張されていますが憎めないもの。思わず笑ってしまうような滑稽さがあります。

大衆小説のようなキャラクラター設定

継母は貴族階級の出身。つまり貴婦人です。そんな貴婦人が、落窪の姫に対して投げつける罵詈雑言(ばりぞうごん)は、読んでいる人を面白がらせたことでしょう。身分が高い人が、品のない言葉を使っていることが、逆にリアルだったかもしれません。彼女の激しい罵詈雑言は、陰湿さがないことも特徴。そのため、あまり反感を抱きません。むしろ正直な人間味さえ感じさせました。

ヒロインの母は皇族の出自。ヒロインは高貴な血を引いています。源氏物語の光源氏も皇族の血筋。つまり、どのような物語でも、主人公は高貴な血筋でありました。落窪の君は、美しく、優しく、純情可憐で、頭も良く、芸術的なセンスも抜群。さらには13弦の琴の弾き手としても名手でした。おまけに裁縫の腕も言うことなし。琴と裁縫が巧み、これは平安時代の理想の女性の典型でした。つまり落窪の姫君はまさに理想化された平安時代のヒロインなのです。

勧善懲悪(かんぜんちょうあく)の物語

意地悪な継母を懲らしめるのは姫君の夫道頼。愛する妻が止めるのもきかず、道頼は、徹底的に継母一家をやっつけます。そのやり方がまた滑稽。継母の最愛の娘の結婚相手に世間でも評判のダメ男を送り込む、清水寺を参詣する継母の一行を邪魔して散々な目に遭わせる、継母の自慢の種の婿を自分の妹の婿にして横取りするなどです。

仕返しの仕上げは三条邸と呼ばれる大きな屋敷を継母から取り戻したこと。元々、この屋敷は、姫が母親から相続したものでした。しかし、姫の父である中納言が継母にそそのかされ、自分の所有物にしようとしていました。いざ引越しのときに道頼が邪魔立て、見事に取り戻したのです。

落窪物語の背景にある平安時代の理想的な女性像

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女性と言っても庶民と貴族では生活に雲泥の差。また貴族でもピンからキリまでありました。庶民の女性は生きるために必死。理想を追求する暇はありませんでした。そんな平安時代の女性の理想像について、裕福な豪族クラスに焦点を当てて解説します。

平安時代の女性は教養があるのが必須

当時の教養は、男性なら漢詩漢文、女性は琴や和歌でした。これはモテるうえでの最低限の条件です。平安時代は戦争のなかった時代。そのため、教養こそ出世する、そして玉の輿に乗るための武器でした。玉の輿というのは、男が、資産家で権勢のある家の婿になること。女は、優秀な男性を婿に迎えるために、ひたすら教養を磨いたのです。

女性が簾の奥にいて顔を見せないのが平安スタイル。琴の演奏の巧みさは、女性の価値と評判を高めるための最高の手段でした。屋敷の奥から漏れ聞こえ来る琴の音に惹かれ、男が女の屋敷に通うきっかけになることは多かったのです。つぎに筆文字が美しいこと。そして和歌の内容が素晴らしいこと。これらは今の偏差値と同じで、女性の優秀さのバロメーターになりました。

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裁縫と衣装のセンスがあることも必須

男が妻の家から宮中に出勤します。そのため、妻は夫の衣装を準備しなくてはなりません。布を染めるのも裁縫も妻の仕事ですが、やはりセンスがものをいいます。源氏物語に登場する紫の上は、琴の演奏も布を染めるセンスが素晴らしく、光源氏の評判をさらに高めました。落窪物語のヒロインも裁縫の技能に長けており、その技能に貴公子道頼はぞっこんになったのです。

この時代の妻の役割とは何なのでしょうか。実際の状況は、分からないところも多々あります。ただ、はっきりしているのは、夫の評判を高めること。つまり、夫が歌に不得手であれば代わりに歌を詠む。字が下手なら代筆するなどです。夫にセンスある服を着せることも妻の役割。逆に、掃除、洗濯、料理は召使いがするもので、妻の仕事ではありませんでした。

仏さまのように慈悲深い落窪物語の姫君

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落窪の姫は琴の演奏も和歌も習字も裁縫の技術も最高レベル。さらには、現実にはありえないような優しい性格の持ち主でした。それだけひどいことをされても、継母とその娘を憎まず恨まず。頼りにならない父親をバカにせず、ひたすら優しく接しました。

落窪物語の作者は男か女か

この物語の作者は不明。男か女か、若い人か年寄りか、貴族か坊さんだったのか、何も分かっていません。ただ、その狙いは女子教育だったと推測されています。落窪物語の主人公の姫君は、現実とはかけ離れた理想的な人物。このように仏のような女性は、現実にいるはずはありません。つまり、男性の視点から女性の理想像を描いた可能性有。女性に「こうあるべし」という遠回しのお説教だったとも考えられます。

後半の継母たちに対する仕返しを辞めさせる内容は、まるで仏教の教え。ここから作者は坊さんだったとも考えられます。しかし、道頼がこの時代には珍しく、姫以外に妻を持たないと言う筋立て。これは、男性の発想というよりも女性の願望のように見えます。一夫一妻制を理想化していることから、作者は女性であってもおかしくありません。

家刀自(いえとじ)としての理想像

当時、主婦という言葉も概念もありません。この言葉が出来たのは明治以降です。それなら平安時代、貴族の男性たちは妻に何を求めたのでしょう。女性には裁縫、染色、琴などの教養が求められました。しかし、妻となると別の役割も求められました。それは家刀自としての能力です。家刀自というのは、現代の主婦に近い役割なのかも知れませんが、もっと大きな権力をもっていました。

貴族となれば多くの荘園を持ち、多くの召使いを使っています。それらの財産を管理し、使用人たちの生活に目を配り、家を取り仕切る必要がありました。平安時代は、武士の時代のように、使用人たちが主人に忠義を尽くすという考え方はありません。主人が無能で出世街道から外れてしまったら、さっさと見切りをつけるのが当たり前。すぐにそこを去り、別の主人を見つけました。

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落窪物語から分かる平安時代の結婚の仕組み

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落窪物語に限らず、平安時代の作品を読むには、平安時代の結婚の仕組みを知ることが必須。結婚の仕組みと制度は時代によってまったく異なります。ここでは、最低限、知っておくと便利なことをまとめました。

「通い婚」と「婿入り婚」

平安時代、結婚の儀式、子供の出産や養育は、すべて母方の一族内で行われていました。通ってくる男のなかから、これはとい男性を現場で取り押さえ、女方の家で作った餅を男に食べさせます。これで見事、結婚成立。婿の生活と生まれる子供の養育すべてを持つのが女方の家。そこで家運をかけて、良い婿を得ようと必死でした。

男のほうからしても、妻の父つまり舅の後ろ盾で出世が決まります。そのためそれなりの力のある家の婿になろうと必死でした。貧しい貴族の女は婿を取ることは困難。ですから、結婚はすべて家と家の政略結婚、純愛など存在しなかったのです。

平安時代の家庭のかたち

妻の家では婿の衣装の世話が重要な義務。藤原道長の妻の母は、86歳で死ぬまで婿道長のために衣服を新調していることが、栄花物語から分かっています。また妻の家が貧しくなり、婿の衣服の世話をできなくなると、婿が家を出て衣服の世話を出来る裕福な家の婿入りすることもありました(大和物語)。

夫が通って来なくなるとすなわち離婚成立。慰謝料も養育費も財産分与も有りませんでした。そのため、妻が経済的に自立することは非常に大切。そのため平安時代は、家と土地は娘が相続し、妻の家で養われる息子には何も渡されませんでした。

落窪物語から平安時代の女性のリアルが見える

落窪物語のヒロインである姫君は、単に性格が優しいだけではなく、裁縫や琴の技術があり、人徳が有り、召使たちに慕われ、十分に自活できる女性でした。まさに理想の女性だったのでしょう。当時の物語の読者は女性。落窪に姫に自らを重ねあわせ、このように生きていれば幸せになれると願ったのかも知れません。落窪物語の姫君は平安時代の女性の理想像。それを通じて女性は何を求められていたのか、現代とは異なる役割を学ぶ機会になるでしょう。

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平安時代日本史

平安時代の女性の役割とは?「落窪物語」から分かる貴族社会のリアルについて元大学教員が5分でわかりやすく解説

裁縫と衣装のセンスがあることも必須

男が妻の家から宮中に出勤します。そのため、妻は夫の衣装を準備しなくてはなりません。布を染めるのも裁縫も妻の仕事ですが、やはりセンスがものをいいます。源氏物語に登場する紫の上は、琴の演奏も布を染めるセンスが素晴らしく、光源氏の評判をさらに高めました。落窪物語のヒロインも裁縫の技能に長けており、その技能に貴公子道頼はぞっこんになったのです。

この時代の妻の役割とは何なのでしょうか。実際の状況は、分からないところも多々あります。ただ、はっきりしているのは、夫の評判を高めること。つまり、夫が歌に不得手であれば代わりに歌を詠む。字が下手なら代筆するなどです。夫にセンスある服を着せることも妻の役割。逆に、掃除、洗濯、料理は召使いがするもので、妻の仕事ではありませんでした。

仏さまのように慈悲深い落窪物語の姫君

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落窪の姫は琴の演奏も和歌も習字も裁縫の技術も最高レベル。さらには、現実にはありえないような優しい性格の持ち主でした。それだけひどいことをされても、継母とその娘を憎まず恨まず。頼りにならない父親をバカにせず、ひたすら優しく接しました。

落窪物語の作者は男か女か

この物語の作者は不明。男か女か、若い人か年寄りか、貴族か坊さんだったのか、何も分かっていません。ただ、その狙いは女子教育だったと推測されています。落窪物語の主人公の姫君は、現実とはかけ離れた理想的な人物。このように仏のような女性は、現実にいるはずはありません。つまり、男性の視点から女性の理想像を描いた可能性有。女性に「こうあるべし」という遠回しのお説教だったとも考えられます。

後半の継母たちに対する仕返しを辞めさせる内容は、まるで仏教の教え。ここから作者は坊さんだったとも考えられます。しかし、道頼がこの時代には珍しく、姫以外に妻を持たないと言う筋立て。これは、男性の発想というよりも女性の願望のように見えます。一夫一妻制を理想化していることから、作者は女性であってもおかしくありません。

家刀自(いえとじ)としての理想像

当時、主婦という言葉も概念もありません。この言葉が出来たのは明治以降です。それなら平安時代、貴族の男性たちは妻に何を求めたのでしょう。女性には裁縫、染色、琴などの教養が求められました。しかし、妻となると別の役割も求められました。それは家刀自としての能力です。家刀自というのは、現代の主婦に近い役割なのかも知れませんが、もっと大きな権力をもっていました。

貴族となれば多くの荘園を持ち、多くの召使いを使っています。それらの財産を管理し、使用人たちの生活に目を配り、家を取り仕切る必要がありました。平安時代は、武士の時代のように、使用人たちが主人に忠義を尽くすという考え方はありません。主人が無能で出世街道から外れてしまったら、さっさと見切りをつけるのが当たり前。すぐにそこを去り、別の主人を見つけました。

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