裁縫と衣装のセンスがあることも必須
男が妻の家から宮中に出勤します。そのため、妻は夫の衣装を準備しなくてはなりません。布を染めるのも裁縫も妻の仕事ですが、やはりセンスがものをいいます。源氏物語に登場する紫の上は、琴の演奏も布を染めるセンスが素晴らしく、光源氏の評判をさらに高めました。落窪物語のヒロインも裁縫の技能に長けており、その技能に貴公子道頼はぞっこんになったのです。
この時代の妻の役割とは何なのでしょうか。実際の状況は、分からないところも多々あります。ただ、はっきりしているのは、夫の評判を高めること。つまり、夫が歌に不得手であれば代わりに歌を詠む。字が下手なら代筆するなどです。夫にセンスある服を着せることも妻の役割。逆に、掃除、洗濯、料理は召使いがするもので、妻の仕事ではありませんでした。
仏さまのように慈悲深い落窪物語の姫君
落窪の姫は琴の演奏も和歌も習字も裁縫の技術も最高レベル。さらには、現実にはありえないような優しい性格の持ち主でした。それだけひどいことをされても、継母とその娘を憎まず恨まず。頼りにならない父親をバカにせず、ひたすら優しく接しました。
落窪物語の作者は男か女か
この物語の作者は不明。男か女か、若い人か年寄りか、貴族か坊さんだったのか、何も分かっていません。ただ、その狙いは女子教育だったと推測されています。落窪物語の主人公の姫君は、現実とはかけ離れた理想的な人物。このように仏のような女性は、現実にいるはずはありません。つまり、男性の視点から女性の理想像を描いた可能性有。女性に「こうあるべし」という遠回しのお説教だったとも考えられます。
後半の継母たちに対する仕返しを辞めさせる内容は、まるで仏教の教え。ここから作者は坊さんだったとも考えられます。しかし、道頼がこの時代には珍しく、姫以外に妻を持たないと言う筋立て。これは、男性の発想というよりも女性の願望のように見えます。一夫一妻制を理想化していることから、作者は女性であってもおかしくありません。
家刀自(いえとじ)としての理想像
当時、主婦という言葉も概念もありません。この言葉が出来たのは明治以降です。それなら平安時代、貴族の男性たちは妻に何を求めたのでしょう。女性には裁縫、染色、琴などの教養が求められました。しかし、妻となると別の役割も求められました。それは家刀自としての能力です。家刀自というのは、現代の主婦に近い役割なのかも知れませんが、もっと大きな権力をもっていました。
貴族となれば多くの荘園を持ち、多くの召使いを使っています。それらの財産を管理し、使用人たちの生活に目を配り、家を取り仕切る必要がありました。平安時代は、武士の時代のように、使用人たちが主人に忠義を尽くすという考え方はありません。主人が無能で出世街道から外れてしまったら、さっさと見切りをつけるのが当たり前。すぐにそこを去り、別の主人を見つけました。
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