
「賢路を塞ぐ」の使い方・例文
「賢路を塞ぐ」の使い方について例文を挙げて解説していきます。この言葉は、たとえば以下のように用いられますよ。
1.熊本県熊本市中央区にある株式会社ヒゴワンはアンテナ関連のサービスを行っている。お問い合わせフォームにご利用時間を記載したいが、責任者は賢路を塞ぎ必要な資料を隠し持って雲隠れしたままだ。
2.テレビ通販番組のであるディレクターのグラン・テイ・サルツは賢路を塞いでいる原因は、デジタル情報プロデューサーのつもりの琴平にあると言った。
例文1からは事業を若手に引き継ぎたくないという思いが伝わってきますし、例文2からはプロデューサーの座を奪われたくないという気持ちが想像できます。
その1「浅ましい」
「浅ましい」は「立ったまま手づかみで食べるなんてあさましい」「彼は財産目当てに結婚するようなあさましい男だ」などのように他人の被害を考えることなく、自己の欲望に忠実に振舞うのが不快な様子を表します。食欲・金銭欲・性欲などの欲望の発露に対する激しい嫌悪を表す語ですが、この嫌悪感は自分の欲望に忠実に振舞うことを他人の目にはどう見えるかという社会性に裏づけられており、他人の目を非常に気にするという日本文化の特徴をきわめてよく表した語でしょう。すなわち、全く同じ行為・姿に対してもこれを「浅ましい」と表現するかどうかは見る人によるわけで、その意味できわめて主観的でもあります。ただし、その主観性は個人の差によるというよりは、文化の差によると言った方が良いでしょう。
「地獄に落ちてあさましい姿をさらすのでしょう」では、具体的にどんな欲望かは示されていません。むしろ、人間から社会性(虚栄・体裁をつくろうこと)がとれてしまって、本能むき出しになった状態(この状態を日本文化ではマイナスのイメージに受け取る)を「浅ましい姿」と表現します。「浅ましい」は「さもしい」にも似ていますが、「さもしい」が主に物事についていの嫌悪感を表すのに対して、「浅ましい」は人間の根源的な本性の露出について用いられるので用法が広い。また「浅ましい」は「みっともない」にも近いですが、「みっともない」が他人の目が気になる状態をやや客観的に表現した語であるのに対して、「浅ましい」は「みっともない」行為に対する主観的な嫌悪感を表現する点が異なります。
その2「さもしい」
「さもしい」は「人の食い残りを持ち帰ろうなんてさもしい料簡は起こすな」「あいつはただでうまい汁を吸おうとするようなさもしい奴だ」などのように物欲・食欲などに忠実に行動することに対する激しい嫌悪を表します。この嫌悪感は自分の欲望に忠実に振舞うことを他人の目はどう見るかという社会性に裏付けられており、「あさましい」「みっともない」などとともに、他人の目を非常に気にするという日本文化の特徴をきわめてよく表した語ですよ。「さもしい」は「あさましい」に非常によく似ていますが、「あさましい」では物欲・食欲以外にも人間の本性の露出についての嫌悪感を一般的に表しますので、用法が広いです。
また、「さもしい」は主にそのような行動をおこさせるような人間性や性質について評する場合が多く、一時的な外見の様子を評することは少ない。したがって「食物を手づかみで食べるさもしい姿」は誤用となり、正しくは「食物を手づかみで食べるさもしい根性」となります。さらに「さもしい」は「いやしい」にも似ていますが、「いやしい」では自分より劣った者、貧しい者への侮蔑の暗示がある点で、嫌悪を表すにとどまる「さもしい」と異なりますよ。そのため「奴は出が出だから、根性がさもしいだ」は誤用となり、正しくは「奴は出が出だから、根性が卑しいだ」となります。
「賢路を塞ぐ」の対義語は?
「賢路を塞ぐ」と反対の意味に近い言葉をご紹介します。さっそく見ていきましょう。
その1「似つかわしい」
「似つかわしい」は「彼女の服はわびた茶芸にはにつかわしくない」「やわらかなもの言いがいかにも彼ににつかわしい」などのようによく似合っている様子を表します。「似つかわしい」は「相応しい」や「似合わしい」に非常によく似ていますが、対象の外見や雰囲気に合致しているというニュアンスをもち、理想像は暗示しない点が「相応しい」と、対象の現在の条件に言及しない点が「似合わしい」と異なりますよ。
したがって「似つかわしい服」は「雰囲気に合った服」、「相応しい服」は「理想的な服」、「彼に似つかわしくない言い方」は「外見からは考えられない言い方」、「彼に似合わしくない言い方」は「性格からは考えられない言い方」というニュアンスになります。「似つかわしい」には外見の映りがよいという意味で用いる用法はありません。そのため「この帽子は君に似つかわしい」は誤用となり、正しくは「この帽子は君によく似あう」となります。
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