「神々しい」を使用する際のポイント
そのため「彼女の和服姿はこうごうしい」は誤用となり、正しくは「彼女の和服姿は上品だ」となります。人間性に品位があって、行動が高潔である場合には「気高い」を用いるほうが一般的です。
ただし、「気高い」は状態を客観的に評した語であって、話者の感動までは暗示されていません。また、神聖で厳粛である意味では「おごそか」にも似ていますが、「おごそか」は他を圧倒する厳粛さを暗示し、「神々しい」に暗示されている気高さへの感動はありません。したがって「こうごうしく開会宣言をする」は誤用となり、正しくは「おごそかに開会宣言をする」となります。
その2「気高い」
「気高い」は気品があって高貴な様子を表します。ふつう、「彼女は難民救済に尽くすけだかい心の持ち主だ」のように推奨すべき心情など、抽象的なものについて用いることが多く、「長いマントを引いて国会開会宣言に現れた女王の姿はけだかかった」のように具体物の品位の高さについて用いることはあまり多くはない。「気高い」はもともと身分の高い人の高貴さについて用いた語ですが、平等は現代社会になっても、推奨すべき行為や心情について、身分の高い人に対して用いた語を用いて評価するのはいかにも日本的です。
品格の高い様子を表す点では「神々しい」に似ていますが、「神々しい」はおもに外見の品格に高さについての感動を表し、目に見えないものについては用いられない点が異なりますよ。
「技神に入る」の対義語は?
「技神に入る」と反対の意味に近い言葉をご紹介します。さっそく見ていきましょう。
その1「まとも」
「まとも」は標準的である様子を表します。例のように打消しや否定の表現を伴うことが多いでしょう。
「まともな神経じゃとうてい渡れない世界だ」「何億も脱税して平気だなんて、政治家の金銭感覚はまともじゃない」は神経や金銭感覚が(責任や恥を感じるような繊細な)普通人のものでなく、もっと図太いという意味、「兄貴に比べれば弟はよほどまともだ」は肯定文で用いられた例で、弟の方が社会人としての標準にかなっているという意味で、この文には兄が正業についていないか、性格などに異常があるという暗示があります。
「まとも」を使用する際のポイント
「どうせまともな金じゃないにちがいない」の「まともな金じゃない」も同様で、正当に働いて得た金ではなく、不正な手段によって得た金であることを示しますよ。「戦争中の人間だからまともに学校へ行っていない」は正規の期間、教育を受けていないという意味。
この「まとも」は「まじめ」に近いですが、「まじめ」が誠意の暗示を持つのに対して、「まとも」には誠意の暗示はなく、その社会の標準に合致しているニュアンスをもつ点で異なります。したがって「彼はまともな青年で娘の婿にふさわしい」は誤用となり、正しくは「彼はまじめな青年で娘の婿にふさわしい」となりますよ。
その2「普通」
「普通」は平均的である様子を表し、あまり述語にかかる修飾語にはなりません。特殊な場合と対置される世間一般の平均を表しますが、全体として極端なものが含まれている暗示はあります。例えば「体の小さい力士はふつう以上の努力が必要だ」は努力の平均的な程度という意味、「人気歌手の彼も素顔はごくふつうの若者だ」は芸能人でない平均的な人間という意味、「ふつうの人間はプロの練習にはついていけない」はプロでない平均的な人間という意味。これらは客観的な表現で特定の感情を暗示しません。
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