端的に言えば遠慮なければ近憂ありの意味は「遠い将来のことを考えずにいると、必ず目前に心配事が起こる」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。
早稲田大学文学部で日本文学・日本語学を学んだぽん太を呼んです。一緒に「遠慮なければ近憂あり」の意味や例文、類語などを見ていきます。
ライター/ぽん太
早稲田大学文学部で日本語学と日本文学を学び、中高国語科の教員免許も取得している。これまで学んだ知識を生かして、難解な言葉をわかりやすく解説していく。
「遠慮なければ近憂あり」の意味は?
「遠慮なければ近憂あり」には、次のような意味があります。
遠い将来のことを考えずにいると、必ず目前に心配事が起こる
出典:デジタル大辞泉(小学館)「遠慮なければ近憂あり」
「えんりょなければきんゆうあり」と読みます。まず「遠慮」「近憂」の2つのキーワードをおさえましょう。
「遠慮」とは「遠くの物事に対する配慮、考え」という意味です。この場合の「遠慮」は、私たちが日頃使う「相手に配慮して譲る」といった意味ではありません。「遠慮」の意味を間違えた誤用に注意してくださいね。「近憂」は「身近なところで起きる心配ごと」という意味です。憂はよく「憂い(うれい)」と書いて、将来への悩みや心配という意味で使われますね。
これらが組み合わさり、「遠慮なければ近憂あり」は「遠い将来のことを考えずに目先のことばかりに気をとられていると、必ず急な心配ごとが生じる」という意味になりました。転じて、「常に将来を見据えて自分の行動を考えるべきだ」という意味でも使われています。
「遠慮なければ近憂あり」の語源は?
次に「遠慮なければ近憂あり」の語源を確認しておきましょう。
これは「論語 衛霊公」の中に出てくる「無遠慮、必有近憂」が語源となっています。「無遠慮、必有近憂」を書き下し文にしたものが「遠慮なければ必ず近憂あり」です。書き下し文には「必ず」が入っていますが、入っても入らなくてもあまり意味は変わらないので、どちらか好きな方を使ってくださいね。
「論語」は、孔子とその弟子たちの言葉や行動を孔子の死後に弟子が書き残した書物です。この第15篇の冒頭に衛霊公の名があることから第15篇は「衛霊公篇」と呼ばれています。ちなみに衛霊公は、衛の国の霊公さんという意味です。霊公さんは衛の第29代君主ですから、霊公さまと呼ばなければいけないでしょうか。
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