
「ちょうど」を使用する際のポイント
この場合、話者にとって好ましい時機と好ましくない時機とがありますが、表現自体は客観的で冷静ですよ。また、「吊るしの背広にちょうどぴったりのがあった」は話者が期待している程度に合致している様子を表します。この場合には「ちょうど」は「ぴったり」を強調する意味になりますよ。この「ちょうど」は「まさに」に似ていますが、「まさに」は対象が真実に合致しているかどうかを問題にするニュアンスがあり、話者が設定した基準に合致しているかどうかは問題にしません。
そのため「これはちょうど僕が探していた財布だよ」は不適切な表現となり、正しくは「これはまさに僕が探していた財布だよ」もしくは「これはちょうど僕が探していたのと同じ財布だよ」となりますよ。ちなみに「恰も好し」との違いは、「ちょうど」は基準に合致している様子を表す表現だという点です。
その2「幸い」
「幸い」は都合がよい様子を表す表現。「運動会はさいわいなことに天候に恵まれた」「彼は車にはねられたがさいわいけがはなかった」「娘はさいわいにして第一志望に合格できました」は「幸いなことに」「幸い」「幸いにして」などの形で、述語にかかる修飾語になりますよ。「人生何がさいわいするかわからない」「相手チームは雨で試合が延びたのを残念がったが、我がチームにはその雨がさいわいした」は「幸いにする」の形で予想に反して幸運な結果になるという意味、
「幸い」を使用する際のポイント
「彼は当たるをさいわいなぎ倒すの勢いで勝ち進んだ」の「当たるを幸いなぎ倒す」は慣用句で、「当たる者を次々となぎ倒す」という意味です。「もっけの幸い」と「これ幸い」も慣用句で、偶然得た好都合な機会という意味になり、意外性の暗示がありますよ。いずれも客観的にみて好ましい結果になったという意味で用いられます。なお「恰も好し」との違いは、「幸い」は感動のニュアンスが含まれているという点です。
「恰も好し」の対義語は?
「恰も好し」と反対の意味に近い言葉をご紹介します。さっそく見ていきましょう。
その1「生憎」
「生憎」は物事の順調な進行や成就を妨げる事態が起こったことを残念に思う様子を表します。例えば「来週の日曜日、家へいらっしゃいませんか?あいにくと他に都合がありまして」は述語にかかる修飾語、「開会式はあいにくの雨にたたられた」「探し当てた店はあいにくなことに閉まっていた」は名詞にかかる修飾語、「もう少し大きいサイズはないかしら?あいにくですが、ただいま在庫をきらしております」は述語の用法、「(電話で)あいにく父は留守をしております」は話者の父の不在が相手の行為の成就にとって不都合であることを話者が残念に思って理宇様子を表し、相手に対する同情が暗示されています。また、「今晩、映画に行かないか?先約があるの。おあいにくさま」の「おあいにくさま」は述語となる慣用句で、やや皮肉な文脈で使われていますよ。
「生憎」を使用する際のポイント
物事の順調な進行や成就に対する不都合を暗示するので、単なる不都合や不運という意味では用いられません。「生憎」は「折あしく」や「いかんせん」に似ていますが、「折あしく」はややかたい文章語で時機的に不都合な状態をやや客観的に述べ、物事の成就に不都合であることを残念に思う気持ちはありません。また「いかんせん」は間投詞的に用いられ、話者の無力感と残念さが悔恨の暗示を伴って表されます。したがって「打つ手はあるんだが、生憎時間がない」は「時間があればやれる」、「打つ手はあるんだが、いかんせん時間がない」は「もう少し時間があればなあ」というニュアンスになりますよ。
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