この記事では「幽霊の正体見たり枯れ尾花」について解説する。

端的に言えば幽霊の正体見たり枯れ尾花の意味は「怖いと思っても、実体を確かめてみると案外平凡なものである」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

高校で国語教師をしていた経歴を持つ、現役ライターのhiyoriを呼んです。一緒に「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/hiyori

大学で近現代日本文学を専攻し、その知識を活かして国語教師として教壇に立っていた経歴を持つ。現在はライターとして様々な情報を発信している。難しい言葉もわかりやすい言葉で解説していく。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の意味や語源・使い方まとめ

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みなさんは、夜道を歩いていて電柱を幽霊と見間違えて怖い思いをした、なんて経験はありませんか?「幽霊の正体見たり枯れ尾花」は現代ではほとんど見聞きすることのない言葉ですが、実は前述したような誰にでも一度はある体験を表す言葉なのです。今回はそんな「幽霊の正体見たり枯れ尾花」を詳しく解説していきたいと思います。

それでは早速「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の意味は?

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」には、次のような意味があります。

幽霊かと思ってよく見ると枯れたススキの穂であった。実体を確かめてみると案外、平凡なものであるということ。

出典:大辞林 第3版(三省堂)

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」は「ゆうれいのしょうたいみたりかれおばな」と読みます。映画を観たり怖い話を聞いたりしたあとにひとりで夜道を歩いてると、木や電柱など何でもない物事が幽霊に見えて怖くなるという経験をしたことはありませんか?怖いなあという意識が強くなると何でも怖く見えてしまいますが、いざ実体を確かめると、怖れるほど大したものではないということがほとんどです。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」はそうした状態を表します。「枯尾花」は枯れたススキの穂を指し、「幽霊かと思ってよく見たら枯れたススキの穂であった」、つまり、先入観によって怖いものに見えても、その実体は平凡なものであるという意味を持つのです。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の語源は?

次に「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の語源を確認しておきましょう。

このことわざは、江戸時代俳人である横井也有の『鶉衣』「化物の正体見たり枯尾花」という俳文が由来になっています。この俳文が次第に変化をして、現在の「幽霊の正体見たり枯尾花」が成り立ったと考えられているのです。なお、このこわざの語源は松尾芭蕉であると言われることがありますが、間違いなので注意しておきましょう。

\次のページで「「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の使い方・例文」を解説!/

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の使い方・例文

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。

1.幽霊の正体見たり枯尾花というように、窓の外にある木がおばけに見えて安心して眠れない。
2.ホラーアニメを観てしまったせいで天井の木目がおばけに見えてしまう。まさに、幽霊の正体見たり枯尾花だ。
3.幽霊の正体見たり枯れ尾花という言葉がある通り、いくら上司が怖く見えたとしても私たちと同じ会社員なのだから必要以上に怖がる必要はない。

ここでは3つの例文を挙げました。ひとつひとつ用例を確認していきたいと思います。

例文1、2は木や天井の木目が幽霊見えておびえてしまうが、実はなんて事のないものであるということを表す例文です。幽霊なのではないか、怖い何かなのではないかという先入観により、普段であれば何も感じないものにも恐怖心を抱いてしまうということを表現する際に用いられます。

例文3は、怖い上司も自分たちと同じ会社員なのだからそこまで怖がる必要はないということを表す例文です。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」での恐怖心を抱く対象は幽霊などに限定されません。意外と広く使える言葉なので覚えておいて損はないでしょう。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の類義語は?違いは?

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怖いと思っていても実体を確かめてみると大したものではなかったという「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と似た意味を持つ言葉にはどのようなものがあるのでしょうか。

下記の言葉を確認していきましょう。

その1「疑心暗鬼を生ず」

「疑心暗鬼を生ず」は「ぎしんあんきをしょうず」と読みます。「疑心暗鬼」という四字熟語は普段の生活でも使われることが多いため、意味などを知っている人も多いでしょう。「疑心」は疑いの心、「暗鬼」は不安や妄想による恐れを意味します。そのため、「疑心暗鬼を生ず」は疑いの心を持つと、何でもないものにまで恐れや疑いを持つという意味を持つのです。先入観から平凡なものに恐れを抱く「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と非常に似た意味を持つと考えられます。

\次のページで「その2「杯中の蛇影」」を解説!/

1.友人の財布が盗まれたことで犯人探しが始まり、クラスのみんなが疑心暗鬼を生ずことになってしまった。
2.疑心暗鬼を生ずと言うが、どのような状況でも相手を信じる気持ちを持つことは大事だ。

その2「杯中の蛇影」

「杯中の蛇影」は「はいちゅうのだえい」と読む慣用句で、何でもないことでも、疑えば神経を悩ます種になるという例えです。この慣用句は中国の晋代の歴史を記した「晋書」に由来します。酒を注いだ杯にうつった弓の影を蛇だと勘違いし、蛇を飲んでしまったと思い込んだ男が病気になったが、弓の影であると説明された途端元気になったという故事が元になっているのです。

1.一度部屋にゴキブリが出てから、床に落ちているごみまでもがゴキブリに見えてしまう。まさに杯中の蛇影だ。
2.杯中の蛇影という言葉があるように、夜道をひとりで歩いていると通り過ぎる人すべてが怪しく見えてしまう。

その3「落ち武者は薄の穂にも怖ず」

「落ち武者は薄の穂にも怖ず」は「おちむしゃはすすきのほにもおず」と読みます。「薄」とは植物の「ススキ」のことです。落ち武者は常にビクビク怯えているので、なんでもないようなことまで恐怖の種になることを意味しています。何でもない物の例として「ススキ」を上げている点が「幽霊の正体見たり枯尾花」と共通していますね。

1.落ち武者は薄の穂にも怖ずというように、お化けが出たのではないかとちょっとした物音にも反応してびくびくしてしまう。
2.落ち武者は薄の穂にも怖ずのように何でもかんでも怖がっていたのでは、一人暮らしもままならないのではないか。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の対義語は?

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「幽霊の正体見たり枯れ尾花」には明確な対義語はありません。反対の意味を持つ言葉をしいて挙げるなら、心になんのわだかりもなく平静な状態で事に臨む様を表す「虚心坦懐」や、心にやましい点がなく澄み切っていることを表す「明鏡止水」が考えられるのではないでしょうか。

\次のページで「「幽霊の正体見たり枯れ尾花」を使いこなそう」を解説!/

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」を使いこなそう

この記事では「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の意味・使い方・類語などを説明しました。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」は、先入観によって恐ろしいものに見えていたとしても実体をたしかめると大したことはないものであるという意味を持ちます。江戸時代に作られた俳文が由来となっていることわざですが、現代を生きる私たちも日常生活で同じような状況になることが少なからずあるはずです。時代が変われど、そうした感覚は今も昔も共通していると思うとまた面白いですね。

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【ことわざ】「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の意味や使い方は?例文や類語を文学部卒現役ライターがわかりやすく解説!

この記事では「幽霊の正体見たり枯れ尾花」について解説する。

端的に言えば幽霊の正体見たり枯れ尾花の意味は「怖いと思っても、実体を確かめてみると案外平凡なものである」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

高校で国語教師をしていた経歴を持つ、現役ライターのhiyoriを呼んです。一緒に「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/hiyori

大学で近現代日本文学を専攻し、その知識を活かして国語教師として教壇に立っていた経歴を持つ。現在はライターとして様々な情報を発信している。難しい言葉もわかりやすい言葉で解説していく。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の意味や語源・使い方まとめ

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みなさんは、夜道を歩いていて電柱を幽霊と見間違えて怖い思いをした、なんて経験はありませんか?「幽霊の正体見たり枯れ尾花」は現代ではほとんど見聞きすることのない言葉ですが、実は前述したような誰にでも一度はある体験を表す言葉なのです。今回はそんな「幽霊の正体見たり枯れ尾花」を詳しく解説していきたいと思います。

それでは早速「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の意味は?

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」には、次のような意味があります。

幽霊かと思ってよく見ると枯れたススキの穂であった。実体を確かめてみると案外、平凡なものであるということ。

出典:大辞林 第3版(三省堂)

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」は「ゆうれいのしょうたいみたりかれおばな」と読みます。映画を観たり怖い話を聞いたりしたあとにひとりで夜道を歩いてると、木や電柱など何でもない物事が幽霊に見えて怖くなるという経験をしたことはありませんか?怖いなあという意識が強くなると何でも怖く見えてしまいますが、いざ実体を確かめると、怖れるほど大したものではないということがほとんどです。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」はそうした状態を表します。「枯尾花」は枯れたススキの穂を指し、「幽霊かと思ってよく見たら枯れたススキの穂であった」、つまり、先入観によって怖いものに見えても、その実体は平凡なものであるという意味を持つのです。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の語源は?

次に「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の語源を確認しておきましょう。

このことわざは、江戸時代俳人である横井也有の『鶉衣』「化物の正体見たり枯尾花」という俳文が由来になっています。この俳文が次第に変化をして、現在の「幽霊の正体見たり枯尾花」が成り立ったと考えられているのです。なお、このこわざの語源は松尾芭蕉であると言われることがありますが、間違いなので注意しておきましょう。

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