この記事では「悪法もまた法なり」について解説する。

端的に言えば悪法もまた法なりの意味は「悪い法律にも従わなければならない」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

絵本から専門書まで読み漁る本の虫、シクロを呼んです。一緒に「悪法もまた法なり」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/シクロ

絵本から専門書まで読み漁る本の虫。

知れば知るほど自分が知らないものが見えてくるため、読書の沼にはまっていく日々。哲学は多少かじったことがある程度だが、余生は哲学をして過ごしたいと考えている。

「悪法もまた法なり」の意味や語源・使い方まとめ

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「悪法もまた法なり」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。法に関する言葉は意味も様々でありながら、言葉が生まれた文化を反映するものも多く、自然に使うことができるとそれだけで教養を感じさせるものです。手始めに「悪法もまた法なり」という言葉の背景までを含めて覚えてみてはいかがでしょうか。

それでは早速「悪法もまた法なり」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「悪法もまた法なり」の意味は?

「悪法もまた法なり」には、次のような意味があります。

1.たとえ悪い法律でも、通用しているうちは法律であるから、それに従わなければならないということ。

出典:用例でわかることわざ辞典(学研出版)「悪法もまた法なり」

「悪法」の意味は見たまま、悪い法律を指します。ここで言う悪い法律とは、道理に合わないものであったり、法律の本来の機能、すなわち秩序を保つという国家の役割を見失っているような法律を指しているものを指していると考えれば良いでしょう。

それでも法律として存在している以上は効力を有するため、従う他に選択肢はないということです。

「悪法もまた法なり」の語源は?

「悪法もまた法なり」の語源はソクラテスが発した言葉だという説がありますが、この説には根拠がありません

それもそのはずで、ソクラテスの時代の歴史を記した書物というものは大変貴重であり、それもソクラテスの弟子がソクラテスの言葉を書き留める形式で存在するのみだからです。それらの書物を写し続けることで現代にまで受け継がれてきました。

ここでソクラテスについても学んでおきましょう。ソクラテスは古代ギリシャの哲学者であり、弁証法で有名です。この弁証法は「無知の知」と呼ばれることもありますが、現代のクリティカルシンキングの基盤と言っても良いものですから、是非一度触れてみてはいかがでしょう。

さてそんなソクラテスですが、その最期は裁判によって死刑判決を下されて服毒によって死亡したとされており、なんとも過酷な最期です。その際に「悪法もまた法なり」という言葉を残したとの説がありますが、先ほども申し上げたように引用文なども存在せず、裏付けとなる証拠はありませんので注意してくださいね。

\次のページで「「悪法もまた法なり」の使い方・例文」を解説!/

「悪法もまた法なり」の使い方・例文

「悪法もまた法なり」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。

1.随分と横暴だと感じたが、悪法もまた法なりである為従う他なかった。
2.法文の解釈では被害があったと認定されず、これも悪法もまた法なりと納得するしかなかった。
3.国家が定めた法律はどのようなものであれ、成立した以上は悪法もまた法なりである。

悪法もまた法なりという言葉を使う場面としては、理不尽な決定や決まりに対しての感情が発生する場面です。

例文1では自分の身に降りかかった問題に対し、理不尽な対処がなされたことに対する怒りが感じられます。

例文2では、下された判断や内容に対してのやるせなさや無力感と言ったものが伝わってくるようです。

例文3では理不尽な問題が発生していないものの、これから発生する種々の悲劇を予感させるような文章となっています。

ルールの理不尽さに対する感情を表現しますが、自分の考え方と合わないという価値判断で無暗に使用することはできません。くれぐれも大多数から見た際に道理に適っていないと判断できる場面で使用するようにしましょう。

「悪法もまた法なり」の類義語は?違いは?

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「悪法もまた法なり」の意味は言葉を見た通りのものでした。それではこの言葉の類義語は存在しているのでしょうか。

早速確認してみましょう。

「無理も通れば道理になる」

「悪法もまた法なり」と厳密に同じ意味を持つ言葉は存在していません。ただし、近い意味を持つ言葉はありますので、どのような違いがあるかに着目しながら紹介しようと思います。

まずは「無理も通れば道理になる」です。この言葉は、道理に合わないことであっても押し通してしまえばまるで正しいことのように通用してしまう、という意味を持ちます。法律として従わなければならないか、という点で違いがありますが、間違ったことが正しいこととして扱われるという点では似た言葉と言えるでしょう。

次に「所の法に矢は立たぬ」です。この言葉の意味は、郷に入っては郷に従えと同じ意味を持ちます。つまり、その土地の習慣や決まりに対しては、どんなに変だと思っても従わなければならないという意味です。納得がいかないものであっても遵守するという点では似た言葉と言ってよいでしょう。

\次のページで「「悪法もまた法なり」の対義語は?」を解説!/

「悪法もまた法なり」の対義語は?

悪法もまた法なりの対義語はありません

あえて対義語に近いものを探す場合は、「良いもの、道理に適ったものは最後に残る」という意味を持つ言葉が挙げられるでしょう。また、「善い行いは必ず報われる」という意味を持つ言葉も、同様に対義語に近い言葉と言えるかもしれません。ただし正確な対義語ではありませんので注意が必要です。

「悪法もまた法なり」の英訳は?

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悪法もまた法なりという言葉は、厳密な類義語や対義語が存在しない言葉でした。いまいち腑に落ちない方もいらっしゃるかもしれません。

それでは、英訳についてはどうでしょう。どのような言葉も直訳をすることは可能ですが、悪法もまた法なりという言葉の意味と同義語である英語のイディオムは存在しているのでしょうか

それでは英訳を見て参りましょう。

「It is what it is.」

悪法もまた法なりの英訳として、「It is what it is.」という言葉が挙げられます。また、「That's just the way it is.」という言葉も使うことができるでしょう。

前者も後者も直訳すると「それはそういうものなんだ」という意味であり、納得できなくても受け入れるしかないという観念が感じられます。尚、「way」という言葉がありますが、これは過程や方法と言った概念も表すことができる言葉の為、このような英訳となるのです。どちらも簡単な単語の組み合わせで表現できる為、是非とも憶えておきたい言葉ですね。

「悪法もまた法なり」を使いこなそう

この記事では「悪法もまた法なり」の意味・使い方・類語などを説明しました。

語源については諸説ありますが、哲学の入り口としてソクラテスについてご紹介できたことは嬉しく思います。哲学の歴史は長く、政治や法学と密接に結びついていた部分もあるため、趣味として触れてみてはいかがでしょう。

法律は各国の歴史や文化が反映されているため、法に関することわざや慣用句は興味深いものが多いです。有名な「目には目を、歯には歯を」という言葉も古代メソポタミアの法律を由来とする言葉ですから、奥深さの一端が垣間見えることでしょう。

この記事を切欠に、少しでも多くの方に言葉や言葉の裏にあるものに興味を持っていただければ幸いです。

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国語言葉の意味

【ことわざ】「悪法もまた法なり」の意味や使い方は?例文や類語を超読書家Webライターがわかりやすく解説!

この記事では「悪法もまた法なり」について解説する。

端的に言えば悪法もまた法なりの意味は「悪い法律にも従わなければならない」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

絵本から専門書まで読み漁る本の虫、シクロを呼んです。一緒に「悪法もまた法なり」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/シクロ

絵本から専門書まで読み漁る本の虫。

知れば知るほど自分が知らないものが見えてくるため、読書の沼にはまっていく日々。哲学は多少かじったことがある程度だが、余生は哲学をして過ごしたいと考えている。

「悪法もまた法なり」の意味や語源・使い方まとめ

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「悪法もまた法なり」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。法に関する言葉は意味も様々でありながら、言葉が生まれた文化を反映するものも多く、自然に使うことができるとそれだけで教養を感じさせるものです。手始めに「悪法もまた法なり」という言葉の背景までを含めて覚えてみてはいかがでしょうか。

それでは早速「悪法もまた法なり」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「悪法もまた法なり」の意味は?

「悪法もまた法なり」には、次のような意味があります。

1.たとえ悪い法律でも、通用しているうちは法律であるから、それに従わなければならないということ。

出典:用例でわかることわざ辞典(学研出版)「悪法もまた法なり」

「悪法」の意味は見たまま、悪い法律を指します。ここで言う悪い法律とは、道理に合わないものであったり、法律の本来の機能、すなわち秩序を保つという国家の役割を見失っているような法律を指しているものを指していると考えれば良いでしょう。

それでも法律として存在している以上は効力を有するため、従う他に選択肢はないということです。

「悪法もまた法なり」の語源は?

「悪法もまた法なり」の語源はソクラテスが発した言葉だという説がありますが、この説には根拠がありません

それもそのはずで、ソクラテスの時代の歴史を記した書物というものは大変貴重であり、それもソクラテスの弟子がソクラテスの言葉を書き留める形式で存在するのみだからです。それらの書物を写し続けることで現代にまで受け継がれてきました。

ここでソクラテスについても学んでおきましょう。ソクラテスは古代ギリシャの哲学者であり、弁証法で有名です。この弁証法は「無知の知」と呼ばれることもありますが、現代のクリティカルシンキングの基盤と言っても良いものですから、是非一度触れてみてはいかがでしょう。

さてそんなソクラテスですが、その最期は裁判によって死刑判決を下されて服毒によって死亡したとされており、なんとも過酷な最期です。その際に「悪法もまた法なり」という言葉を残したとの説がありますが、先ほども申し上げたように引用文なども存在せず、裏付けとなる証拠はありませんので注意してくださいね。

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