
その2「事もあろうに」
「事もあろうに」は最も好ましくないものを選択する様子を表し、「彼はこともあろうにハイジャックを計画している」「こともあろうにお父さんのお葬式の日に結婚を申し込みに来るなんて、非常識な人ね」などのように述語にかかる修飾語として用いられます。他に選択すべきものはいくらでもあるのにという、話者の慨嘆・怒りとあきれの暗示を伴いますよ。結果として選択した物事は好ましくない程度が極点である暗示があります。
したがって、通常の程度の事柄についてはふつう用いません。そのため「試合の日は晴れて欲しかったのだが、事もあろうに小雨になった」は誤用となり、正しくは「試合の日は晴れて欲しかったのだが、事もあろうに大嵐になった」となります。ちなみに「業が煮える」との違いは、「事もあろうに」は慨嘆・怒りとあきれの暗示を伴うという点ですよ。
その3「割り切れない」
「割り切れない」は完全には解決できない様子を表しますよ。「彼の責任だと一概にはわりきれない」は断定できないという意味、「肉親の感情は理屈ではわりきれない」は解決できない、説明できないという意味です。とても客観的な語で、完全には解決できない事態について特定の感想は暗示されていません。
また、感覚的に納得できないという意味で「割り切れない」は「怪しい」にも近いですが、「怪しい」がもともと人間の知恵や感覚を超えたものに対する不審・不安・畏怖などの暗示をもつのに対して、「割り切れない」は現実世界の出来事への不審であって、不安や畏怖の暗示はありません。ちなみに「業が煮える」との違いは「割り切れない」は特定の感想は暗示されていないという点です。
「業が煮える」の対義語は?
「業が煮える」と反対の意味に近い言葉をご紹介します。さっそく見ていきましょう。
「心おきなく」
「心おきなく」は余計な心遣いをしない様子を表し、動詞にかかる修飾語として用いられますよ。「二十年ぶりに旧友とこころおきなく語り合った」「どうぞおこころおきなくおくつろぎください」は思うままに遠慮なくという意味、「実家の母親が子供を見てくれているので、彼女はこころおきなく働ける」「(退院した患者が)今日からこころおきなく酒が飲めるぞ」は自分の心に恥じることなくという意味です。相手に遠慮なく行動するよう促す場合には、「お心置きなく」という丁寧形も用いられますよ。相手に対して配慮を必要としない安堵の暗示があるでしょう。
「こころおき」は他人に対する余計な心遣いという意味ですが、主に他人が自分の行為をどう見るかを予想して、他人に悪く思われないように心遣いするというニュアンスであって、きわめて日本的な語です。他人に対して心遣いをすること自体は日本文化ではプラスに評価しますが、他人の思惑を先取りして本来望んでいる自分の行為を抑制することは主体にとっては不快ですので、そのような余計な心遣いをしないことはプラスイメージとなりますよ。他人の目を自分の行動の規範にすえる日本文化に特徴的な語だということができます。
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