「血走る」の使い方・例文
「血走る」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。
1.お腹を空かせたライオンは、私たちを見た途端に目を血走らせてこちらへ向かってきた。
2.目の機能に異常がなく自覚はなかったが、友人から目が血走っているから眼科に行って診察をしてもらうようにアドバイスを受けた。眼科医によると、視力の低下の恐れもある結膜炎の症状なので治療が必要とのことだった。
一つ目の例文は、お腹を空かしたライオンが食べ物を見つけて興奮している状態を表しています。ただ興奮しているというよりも、目が血走るくらいに異常なほど興奮しているという臨場感が伝わる文章です。ここでは慣用句として用いられているので、実際に目が充血しているかは重要ではありません。
一方、二つ目の例文では、目に疾患があることで目が充血している状態を表しています。こちらもただの充血という言葉より、血の生々しさが思い浮かび異常な健康状態が強調されている文章です。それぞれ単なる充血とは違うレベルの異常な状態がキーワードになっていますね。
「血走る」の類義語は?違いは?

「血走る」に関連する言葉として「血眼になる」、「目の色を変える」があります。どちらも似た意味を持つ言葉です。ところが、これらには少しだけ違いがあります。
また、通常より多くの血液が集まって体に浮かび上がる様子を表す言葉として「充血する」、「鬱血する」という言葉がありますが、これらは「生理的な現象として血液が浮かび上がる状態」を指す表現です。「充血」が動脈の膨張によっておこるのに対し、「鬱血」は静脈におこるものとされています。
その1「血眼になる」
「血眼になる」とは、目的のために我を忘れて集中することを指します。「目を血走らせる」との違いは、目が充血している様子を直接表す場合にはあまり使わないことです。「血眼になる」を使うときは、過剰に集中する、熱中するといった意味での用法に限られます。
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