端的に言えば兄弟は他人の始まりの意味は「いずれ兄弟も疎遠になる」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。
自治体広報紙の編集を8年経験した弘毅を呼んです。一緒に「兄弟は他人の始まり」の意味や例文、類語などを見ていきます。
ライター/八嶋弘毅
自治体広報紙の編集に8年携わった。正確な語句や慣用句の使い方が求められるので、正しい日本語の使い方には人一倍敏感。
「兄弟は他人の始まり」の意味は?
「兄弟は他人の始まり」には、次のような意味があります。
兄弟も成長すれば利害関係や結婚などによって情が薄くなり、しだいに他人のようになってしまうこと。
出典:デジタル大辞泉(小学館)「兄弟は他人の始まり」
子供のうちは、両親とともに一つの家庭で兄弟姉妹は仲よく育っていくものです。しかし自分自身の成長とともに、就職や結婚などによりその関係も徐々に薄れていくでしょう。家族の下を離れ、時間がたつとともに連絡も途絶えがちになり、わざわざ会いにいこうともしなくなります。そのように兄弟姉妹であっても次第に気持ちも離れていくものです。「兄弟は他人の始まり」とは、そのような状態を表した言葉と言えるでしょう。
昔は「生めよ増やせよ」のかけ声で、一つの家族に5人や6人の兄弟姉妹がいることはあたりまえでした。それが今や1人、多くても2人がせいぜいで3人以上の子供がいる家庭は珍しくなりました。それに伴って親子や兄弟の絆も弱くなっています。昔のような子だくさんの家庭では、貧しいながらも親孝行な子供がたくさんいたものです。現代のような核家族がはたして幸せなのか考える時がきているのではないでしょうか。
「兄弟は他人の始まり」の語源は?
次に「兄弟は他人の始まり」の語源を確認しておきましょう。同じ両親から生まれ、時には喧嘩をしたりしながら兄弟は育ちます。喧嘩をしたり一緒に遊んだりしても、そこには兄弟ならではの本当の情愛があるのです。
赤の他人同士では、こうはいきません。人柄にもよりますが、兄弟の喜びや悲しみを一身に受け止めることができるのは兄弟だからこそです。しかしそのような兄弟でも成長とともに離れていきます。「兄弟は他人の始まり」と言われる由来は、そんな状態を表現したところからきていると考えられるでしょう。
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