
その2「塵を結んでも志」
「塵を結んでも志」とは「こころざしはかみのすじ」と読みます。「いかなるものでも真心がこもっていれば受け取った人は誠意を感じてくれる」という意味です。こちらも「気は心」と同じ意味ですね。「塵を結んでも志ですが、どうかご笑納ください」などと使われます。
その3「塵を結んでも志」
「塵を結んでも志」とは「ちりをむすんでもこころざし」と読みます。「塵のようなささやかな贈り物であっても贈る人の誠意がこもっている」という意味です。こちらも「気は心」と同じ意味になります。「塵を結んでも志という言葉がありますが、心ばかりのものですのでお受け取りください」などと使われるのです。
「気は心」の対義語は?
「気は心」の対義語は何でしょうか。
その1「なおざり」
「なおざり」とは「いい加減にしてほったらかしていること」や「あっさりして深く心にとめておかないこと」の意味があります。前者の意味で使われることが多いです。真心の込もった「気は心」とはそういう意味で対義語と言えますね。「忙しかったので家のことはおざなりにしてしまった」などと使います。
なお、「おざなり」という場合は「その場しのぎのいい加減なこと」という意味です。
その2「ないがしろ」
「ないがしろ」とは漢字では「蔑ろ」と書きます。「物事や人のことをあってもないことのようにののしり冷たく扱うこと」の意味です。そういう意味で「気は心」とは対義語と言えます。
当初は「無きが代」で、「代わりになる必要がない」という意味でしたが、これが「必要ない人間」といったように物事や人間を無いのと同然に軽いものとして扱うという意味で使われるようになりました。「上司を蔑ろにするとあとでしっぺ返しがあるぞ」などと使われます。
その3「スルー」
「スルー」とは英語の「through」のカタカナ語です。日本語にすると「~を通って」という意味ですが、最近「聞き流す」という意味で使われるようになりました。それがさらに転じて「無視する」という意味の俗語として使われるようになりました。この意味で「気は心」とは対義語と言えます。「先輩からラインが届いたけど既読スルーにしよう」などとよく若い人の間で使われていますね。
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