この記事では「汗顔の至り」について解説する。

端的に言えば汗顔の至りの意味は「恥ずかしい限り」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

自治体広報紙の編集を8年経験した弘毅を呼んです。一緒に「汗顔の至り」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/八嶋弘毅

自治体広報紙の編集に8年携わった。正確な語句や慣用句の使い方が求められるので、正しい日本語の使い方には人一倍敏感。

「汗顔の至り」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「汗顔の至り」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「汗顔の至り」の意味は?

「汗顔の至り」には、次のような意味があります。

すっかり恥じ入ること。「まったくわたしの初歩的なミスで、まことに汗顔の至りです」

出典:imidas(集英社)「汗顔の至り」

「汗顔の至り」「汗顔」「かんがん」と読みます。文字どおり顔に汗をかくことです。顔に汗をかくのはどのような状態のときでしょうか。炎天下でビジネスパーソンが営業に回ったり、スポーツをしたりすれば汗をかきます。

そのほかなにか失敗をして周りの人に迷惑をかけたときにも、自らの失態を恥じて顔に汗することもあるでしょう。「汗顔の至り」は、気温が高い時に顔に汗をかくことではなく、自分が過ちを犯して恥じ入る様子を表す表現です。

「汗顔の至り」の語源は?

次に「汗顔の至り」の語源を確認しておきましょう。先に説明したように「汗顔」恥ずかしくて顔に汗をかくことです。さらに「至り」は到達という意味がありますから、これ以上ない最高の状態を表します。つまり「顔に汗をかくほどに、この上なく恥ずかしい」という意味です。

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「汗顔の至り」の使い方・例文

「汗顔の至り」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、例えば以下のように用いられます。

1.間違いを指摘されてお詫びに行ってきたけど、まったく汗顔の至りだったよ。
2.勉強していかなかったから漢字の読み方がわからず、汗顔の至りだった。
3.フォーマルな場でのマナーがわからなくていい恥さらしだった。まったく汗顔の至りだ。

「汗顔の至り」のような状況では、たいていあなたが相手に対して礼を失した言動をしたり、迷惑をかけて謝罪することになります。日常生活でいくら注意しても、そのような場面に出くわすことは避けて通れません。そうした場合に、いち早く原因を突き止め、いかに次につなげるかによって、あなたの評価は決まるでしょう。なんら反省の態度を見せなければ。いつまでたっても「残念な人」の烙印を押され、グループ内の面汚しとして扱われることになります。

「汗顔の至り」の類義語は?違いは?

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ここでは「汗顔の至り」の類義語を見ていきましょう。

その1「赤面の至り」

「赤面の至り」「赤面」にはいろいろな意味があります。文字どおり顔が赤いこと、つまり赤ら顔のことです。そのほか怒りや興奮の感情が顔に表れて赤くなる場合もあります。しかし「汗顔の至り」の類義語とする場合は、そのどれにも当てはまりません。

誰でもみんなの前で恥ずかしい思いをすると顔が赤くなることがあります。「汗顔の至り」と似た表現としては、この恥ずかしくて顔が赤くなることを言うのです。「顔から火が出るほど恥ずかしい」思いをした人もいるでしょう。衆人環視のなかで思わぬ失敗をしたときなどは、身の置き所もないほど恥ずかしくなるものです。このような場合に「赤面の至り」という言葉を使います。

似た言葉に「恐懼の至り」という表現がありますが、これは逆に身に余るようなお褒めの言葉をいただいたりしたときに「身に余る光栄」と恐れかしこまることで、意味が違いますから間違えないようにしてください。

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その2「慙愧の念」

「慙愧(ざんき)の念」「慙愧」とはもともと仏教で使われていた言葉です。「慚愧」とも書きます。「慙」は自分の行動を自ら恥じることを言い、「愧」は自分の行動を他人に対して恥じることです。つまり「慙愧」とは自分をはじめとして誰か他人に対しても自分自身を恥ずかしいと思うときに使います。ですから「慙愧の念」と言う場合は、自分自身の言動を振り返って自ら恥じる心や、他人に対して申し訳ないと思うときに使う言葉です。この言葉は自分に対してだけ使用するもので他人に対して使うことはありません。

その3「忸怩たる思い」

「忸怩(じくじ)たる思い」とは「深く恥じ入る思い」ということですから「汗顔の至り」の類義語と言えます。「忸」は恥ずかしく思うこと「怩」は恥じ入ることですから、同じ意味を重ねて恥ずかしい思いを強調した言葉です。特に自分の未熟さから計画に不具合が生じたりした場合などに「私の力不足で皆さんにご迷惑をおかけして忸怩たる思いです」というように、自分の力量が足りずにそれを恥じる場合に使います。

「汗顔の至り」の対義語は?

次に「汗顔の至り」の対義語を見ていきましょう。

その1「誇らしい」

「誇らしい」「汗顔の至り」の対義語とすることには疑問はないでしょう。大切な物事を立派に成し遂げて得意満面、人に自慢したい気持ちを表しています。できれば「汗顔の至り」と恥じるより「誇らしい」気分になったほうがいいと思いますがいかがでしょうか。

その2「得得たる」

「得得たる」とは「得意な様子」「意にかなって満足する様子」を表します。従って「汗顔の至り」の対義語と言えるでしょう。「得得たる」は鎌倉時代初期の禅僧・道元が執筆した『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の言葉が由来となっています。

『正法眼蔵』の「行仏威儀」のなかに「しるべし、生死は仏道の行履なり、生死は仏家の調度なり。使也要使なり、明也明得なり。ゆゑに諸仏はこの通塞に明明なり、この要使に得得なり」との一文があります。

これを現代語にわかりやすく読み解くと「生きる死ぬといった事柄こそ、まさしく仏道が説き示してきたものであることを。生死こそが、仏道を歩む者が何よりも参究すべきものであることを理解しなさい。生死を説き示してきたからこそ、仏教は教えを説く際に生死の語を用いるのであり、生死を明らかにしてきたからこそ、仏教が明らかになるのです。だから仏祖方は生死という真理に対して明るかったし、その要を心得ていたのです」となります。

その3「得意げ」

「得意げ」もまた「誇らしそうな様子」とか「得意そうにしている」という意味で「汗顔の至り」の対義語です。この言葉は前に挙げた「誇らしい」「得得たる」と同じような意味を持っています。

\次のページで「「汗顔の至り」の英訳は?」を解説!/

「汗顔の至り」の英訳は?

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最後に「汗顔の至り」の英訳を見ていきましょう。

その1「feel deeply ashamed of myself」

「ashamed」「恥ずかしい」という意味になります。また「汗顔の至り」は自分に対してしか使いませんから「of myself」とつけるのが普通です。「feel ashamed of myself」でも意味は通じますが、「至り」と強調するわけですから「深く」を意味する「deeply」を付け加えたほうがいいでしょう。

その2「feel really ashamed」

「feel really ashamed」「feel deeply ashamed of myself」と同じような意味です。やはり「至り」と強調するために「really」を付け加えます。自分のことをいうわけですからどちらの英語を使う場合も主語は「I」です。

「汗顔の至り」を使いこなそう

この記事では「汗顔の至り」の意味・使い方・類語などを説明しました。本当に顔から火が出るほどの恥ずかしい思いをした方もいると思います。そのようなときに、ただ「恥ずかしい」というよりも「汗顔の至りです」と言ったほうが、相手があなたを見る目が変わってくるかもしれません。機会があればぜひ使ってみてください。

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国語言葉の意味

【慣用句】「汗顔の至り」の意味や使い方は?例文や類語を元広報紙編集者がわかりやすく解説!

その2「慙愧の念」

「慙愧(ざんき)の念」「慙愧」とはもともと仏教で使われていた言葉です。「慚愧」とも書きます。「慙」は自分の行動を自ら恥じることを言い、「愧」は自分の行動を他人に対して恥じることです。つまり「慙愧」とは自分をはじめとして誰か他人に対しても自分自身を恥ずかしいと思うときに使います。ですから「慙愧の念」と言う場合は、自分自身の言動を振り返って自ら恥じる心や、他人に対して申し訳ないと思うときに使う言葉です。この言葉は自分に対してだけ使用するもので他人に対して使うことはありません。

その3「忸怩たる思い」

「忸怩(じくじ)たる思い」とは「深く恥じ入る思い」ということですから「汗顔の至り」の類義語と言えます。「忸」は恥ずかしく思うこと「怩」は恥じ入ることですから、同じ意味を重ねて恥ずかしい思いを強調した言葉です。特に自分の未熟さから計画に不具合が生じたりした場合などに「私の力不足で皆さんにご迷惑をおかけして忸怩たる思いです」というように、自分の力量が足りずにそれを恥じる場合に使います。

「汗顔の至り」の対義語は?

次に「汗顔の至り」の対義語を見ていきましょう。

その1「誇らしい」

「誇らしい」「汗顔の至り」の対義語とすることには疑問はないでしょう。大切な物事を立派に成し遂げて得意満面、人に自慢したい気持ちを表しています。できれば「汗顔の至り」と恥じるより「誇らしい」気分になったほうがいいと思いますがいかがでしょうか。

その2「得得たる」

「得得たる」とは「得意な様子」「意にかなって満足する様子」を表します。従って「汗顔の至り」の対義語と言えるでしょう。「得得たる」は鎌倉時代初期の禅僧・道元が執筆した『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の言葉が由来となっています。

『正法眼蔵』の「行仏威儀」のなかに「しるべし、生死は仏道の行履なり、生死は仏家の調度なり。使也要使なり、明也明得なり。ゆゑに諸仏はこの通塞に明明なり、この要使に得得なり」との一文があります。

これを現代語にわかりやすく読み解くと「生きる死ぬといった事柄こそ、まさしく仏道が説き示してきたものであることを。生死こそが、仏道を歩む者が何よりも参究すべきものであることを理解しなさい。生死を説き示してきたからこそ、仏教は教えを説く際に生死の語を用いるのであり、生死を明らかにしてきたからこそ、仏教が明らかになるのです。だから仏祖方は生死という真理に対して明るかったし、その要を心得ていたのです」となります。

その3「得意げ」

「得意げ」もまた「誇らしそうな様子」とか「得意そうにしている」という意味で「汗顔の至り」の対義語です。この言葉は前に挙げた「誇らしい」「得得たる」と同じような意味を持っています。

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