国語言葉の意味

【故事成語】「肝胆相照らす」の意味や使い方は?例文や類語を元広報紙編集者がわかりやすく解説!

「肝胆相照らす」の使い方・例文

「肝胆相照らす」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、例えば以下のように用いられます。

1.彼は中学時代に同じクラスで意気投合して以来、大学生の現在まで肝胆相照らす仲だ。
2.僕は彼女とは肝胆相照らす仲だったので、結婚して夫婦になった。
3.彼は私の腹心の部下だが、肝胆相照らすことができる相手でもある。

男女の間で友情は成立しないと言われています。半面「遠くて近きは男女の仲」ということわざもあるのです。もっともこのことわざの場合は、多分に愛情のことを指しているものなのでしょう。たとえ友情は成立しなくても「肝胆相照らす」仲になることは可能なのではないでしょうか。

また公式には上司と部下の関係で外部に対してはそのように振る舞っていても、内部ではなんでも思ったことを言い合える「肝胆相照らす」仲であることもあり得ます。そのような組織であれば、仕事もうまく機能し会社の営業成績も向上するのです。

このように、どのような立場であっても「肝胆相照らす」間柄になれば、何事もうまく回転して理想的な環境をつくりだすことができるでしょう。

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残念ながら俺には「肝胆相照らす」ような友人がいない。裏切り続けられてきた人生だから誰かを心から信じ切る自信がないんだ。でもおまえたちは「肝胆相照らす」友達をできるだけたくさんつくれよ。ただつきあって便利なだけの知り合いでは人生つまらないじゃないか。

「肝胆相照らす」の類義語は?違いは?

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ここでは「肝胆相照らす」の類義語を見ていきましょう。中国由来の故事には、親密な交友関係を表現したものがたくさんあります。「肝胆相照らす」の類義語にはわかりやすい言葉もたくさんありますが、ここでは中国の故事がもとになった類義語を紹介しましょう。

その1「刎頸の友」

「刎頸(ふんけい)の友」とは中国の『史記』のうち「廉頗藺相如(れんぱりんしょうじょ)伝」にある故事で、たとえ首を斬られても悔いはないほどの深い友情で結ばれた友を表します。紀元前3世紀の中国戦国時代の話が由来です。

ある時、趙(ちょう)の藺相如が秦(しん)との外交交渉に成功し、武将・廉頗より上の位に就いてしまいました。それに腹を立てた廉頗は藺相如を侮辱しますが、藺はこれに耐えて「二人が争えば国を危うくする」と語ったのです。これを伝え聞いた廉は大変恥じて藺に謝り「君のためなら首を斬られても悔いはない」と言って、以後親しく交際し「肝胆相照らす」仲になりました。

日本では昭和51(1976)年に起きたロッキード疑獄で主要な役割を演じた実業家・小佐野賢治が、共謀した田中角栄元総理のことを「刎頸の友」と呼び、一般に認知される言葉となったエピソードがあります。

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