
その2「下にも置かない」
「下にも置かない」は、非常に丁重にもてなして下座には置かないという意味です。下座(しもざ)の読みから「しもにもおかない」と読まれがちですが、普通に「したにもおかない」と読んでかまいません。明治23(1890)年、禽語楼(さんごろう)小さんの古典落語『殿様の廓(くるわ)通ひ』のなかで「『斯(かう)云ふ殿様を客にして置けば宜い金函(かねばこ)だ、当分小遣ひには困らん』と思ひましたから下へも置かず大事に致します」との一節があります。この落語は『杯の殿様』『月の殿様』と呼ばれることもある演目です。
その3「三顧の礼」
「三顧の礼」とは古代中国の歴史書『三国志』に書かれた故事に基づいています。三国時代は2世紀終わりに中国各地で豪族が相争っていた時期です。そのようななかで劉備玄徳(りゅうびげんとく)は根拠地もなく、各地を放浪しながら徐々に力をつけていきました。そして天下を治めるために優秀な人材を迎えたいと思っていたのです。
その際、今は田舎で隠遁生活を送っている諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)が適任だと推薦されます。そこで劉備は諸葛亮を軍師にするため、彼の下を訪れました。最初の2回は断られますが、三度目についに劉備の熱心さに心打たれた諸葛亮が劉備の軍師になることを承諾し、やがて劉備は蜀の初代皇帝の座に就いたのです。
これがいわゆる「三顧の礼」で、目上の者が目下の者に礼を尽くしてお願いすることを意味するようになりました。この故事でわかるとおり「三顧の礼」は、目下の者が目上の者に使うことはありません。
「上げ膳据え膳」の対義語は?
次に「上げ膳据え膳」の対義語を見ていきましょう。
その1「自給自足」
「自給自足」とは、生活をするうえで必要な物資を自分自身で生産して賄うことです。それは「上げ膳据え膳」とはまったく反対の意味を持っています。現代では自給自足で暮らすことはまず不可能で、お金を払って生活必需品などいろいろなものを購入するのが普通です。「自給自足」は現代のように文明が発達していない時代には米を作ったり田畑を耕して農作物を生産したりする「自給自足」が当たり前でした。
その2「独立独歩」
「独立独歩」は他人に頼ることなく、自分の信じた道を歩むことを意味します。なにもかも人任せにして、自分ではなにもしない「上げ膳据え膳」とは対極にある言葉です。なお、他人に頼らずなにかをなしとげた結果、他とは比べものにならないという意味も含んでいます。