

まあ、俺にすれば「だから、言わんこっちゃない」という結末だからだ。「子どもたちの思考力を育てよう」とか、「国際競争に勝つために、グローバル教育を大事にしよう」、「エリートを育て、国をけん引できる人材を発掘しよう」なんて議論が教育改革につながったわけだが、どれも全く教育を分かっていない。「詰め込み教育は子どもの可能性をつぶす」?その考え方の方がチャンチャラおかしいぜ。いいか、よく聞け。「詰め込み教育」こそが、豊かな国の基盤になり、将来の発展をつくるんだ。一握りのエリートを育てたって、国は貧しくなるばかりだ。
まずはドラゴン桜の漫画13巻から、11ページ分を紹介する。よく読んでみてくれ。その上で、元予備校校舎長で現在は教育系専門ライターでもあるみゆなと「詰め込み教育」の本質について考えていくぞ!
まずは桜木の主張「詰め込み教育こそ真の教育」を漫画でチェック!
まずは漫画をチェックしてみましょう。桜木が「詰め込み教育」について自説を述べる場面です。詰め込み教育反対派の理事長代行・龍野さんの主張との違いを整理しながら、読んでみてください。











教育の真の目的とは?
今回は「教育とは?」と、本質に迫るテーマとなっています。
私たちは、龍野理事長の主張である「教育の目的とは、子供たちを優秀な人間に育てること」のほうが共感しやすいかもしれませんね。子供たちに等しく基礎学力をつけさせることを重視していては、伸びる子も伸ばせない、優秀な人材も育たない、国際競争に勝っていけない、というのが龍野さんの主張です。
一方桜木は「詰め込み教育」、つまり全員に一定レベルの基礎学力を身につけさせることこそが、国の豊かさにつながると言います。学校教育で基礎学力を平等に与えられ、高い理解力を保持している国ほど強い、と。
「教育とは?」という問いは、一見答えがなさそうにも見えます。しかし桜木は、この問いに明確に答えを出していましたね。今回は桜木の主張から、「教育」に深く迫ってみましょう。
「思考力を伸ばす教育」は不可能!その理由とは
「思考力」は「判断力」「表現力」と並び、小中学校の新しい学習指導要領でもピックアップされている力です。文部科学省のお墨付きということもあり、世の中は「思考力を伸ばす!」と謳う教育サービスがとても盛んですね。しかし桜木は「思考力は教育では伸ばせない」と一刀両断です。
桜木はなぜ「教育で思考力は伸ばせない」と考えるのでしょうか?それは世間一般で考えられている「思考力を伸ばす教育」と、「思考力」の本当の意味とのズレにあります。
1.世間一般に支持される「思考力を伸ばす教育」とは?
「思考力を伸ばす教育」と聞いて、どんなイメージを持ちますか?
漫画ではアクティブラーニングや体験型学習といった例が出ていましたね。学校教育現場でも、子供たちに「思考させる」ように教師の発問に工夫がこらされたり、子供たち同士が教え合ったりという場面が増えていると言われています。大学入試改革をはじめ、高校入試や定期テストの試験問題も、これまでの知識偏重型から「思考力を使って解かせる形式」に変化してきたという報道もありました。
子供たちが自分で考えることで理解が深まり、さらなる学習意欲につながる。一見、良いことだらけのように見える「思考力重視」の教育ですが、続いて桜木の修主張を見てみましょう。
2.桜木が「思考力は教育では伸ばせない!」と言い切る理由
桜木が考える「思考力」は、そもそも定義が異なっていました。
桜木のいう「思考力」とは、人が一生かかっても身につけることができない力のことです。人というのは元来が「考える」生き物ですが、考えるテーマの中には考えても答えがでないものもたくさんあります。それでも人は「考える」のです。考えて考えて、考えて考え続ける、そのプロセスすべてが「思考する」ということであり、考え続けられる力のことを「思考力」だと定義していますね。
一生答えが見つからないことなのに、子供時代たかだか数年の教育で身につけさせられるわけはない。教育の指針を示せない政府が、とりあえずお茶を濁すのに使った「思考力」という言葉を真に受けてはいけない、というわけです。
「エリート教育」より「基礎学力の徹底」を!その理由とは
桜木は一貫して「基礎学力の重要性」を訴えています。しかも子供たち「全員が平等に」基礎をしっかり学ぶことが大事だと、徹底的に説いていますね。「日本にエリート教育は不要だ」と桜木が言い切る場面も、別の記事でご紹介しています。
桜木はなぜそこまで「詰め込み教育」、つまり基礎学力の徹底にこだわるのでしょうか?
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1.「エリートが国を率いる」という発想は本末転倒
龍野さんはエリート教育に賛成派です。才能があったり、優秀な素質を持つ子どもたちに特別な教育を施し、国を牽引できる人材や優秀な企業経営者に育てるべきだと考えています。しかしその形で国は豊かになるのでしょうか。
優秀なエリート層が育ったとしても、ほんの一握りです。彼らが経営する会社で働く大多数の従業員は、エリート教育を受けていません。それどころかエリートを育てる教育方針の下で切り捨てられ、基礎学力を身につける機会なく落ちこぼれてしまった層ということになります。いくら経営者が優れていても、実働するスタッフに実務を進める力がなければ、企業としては発展できませんね。
「エリートを育て、経済や国の牽引者とする」という発想は、エリート以外の層に目が向いていないことが問題なのです。
2.桜木が「基礎学力の徹底こそ、国を豊かにする」と言い切る理由
桜木は教育で本当に大切なことは「基礎学力を身につけさせること」「下位の子供を作らないこと」だと言っていました。
優秀な子供は放っておいても自分で学ぶ対象を見つけ、どんどん伸びていきます。だから「優秀」なのです。ところが大多数の子供たちはそうではありません。学校教育で(半ば強制的に)基礎を身につけさせなければ、学ぶ機会がないまま大人になってしまうのです。
ところが学校で基礎学力をしっかり身につけさせてもらった子供たちは、一定水準の理解力を持つようになります。見積書を作る際に会社が四則演算から教えなくて良いのも、運転免許を取る際に標識やルールが理解できるのも、すべては学校で基礎学力を身につけてきたからなのです。だから基礎学力を持つ人が多い国こそが、強い国だというのが桜木の主張だということがわかりますね。
教育の目的は「子供たちを優秀な人間に育てること」ではない!
「教育の目的は、できない子供をなくすこと」。桜木の主張は、現代の教育に一石を投じるものです。
合理性や効率が重視され、結論は手っ取り早く、そして何ごとも成果重視という現代の風潮は教育の世界も無縁ではありません。親たちは躍起になって「良い教育」を我が子に与えようとし、そして払った月謝に見合った成果やコストパフォーマンスの良さを求めます。まるで子供の学びや成長もお金で買えると思っているかのようです。
しかし教育とは本来、豊かな人生を生きるために必要な力を身につけさせるためのものであったはず。さらに一人ひとりの豊かさは国の豊かさがあって実現するものであり、国の豊かさを作っているのは高い学力水準や理解力を持つ国民です。
子供たちを優秀な人間に育てることばかりに躍起になると、自動的に取り残される子供たちが増え、「できる子」と「できない子」の二極化が進んでしまいます。やがて「できない子」は稼ぐこともできなくなり、貧困に陥るでしょう。貧困層の増加は、国力の弱体化に直結します。
「詰め込み教育をやめ、優秀層を育てる」という方針は、将来的な不安要素を増やすことでしかないのです。

子供だって一人の人間だ。俺たちが思うよりずっと考えて、行動して自分で成長していける。
俺たち大人がしてやれるのは、余計なことをせず、困っているやつに手を差し伸べてやることだけってことだな。
「教育」は人が生きる限り存在する普遍のテーマ
予備校の現場では教科指導や試験対策ばかり教えていると思われがちですが、実は生徒たちからの人生相談がかなりの割合を占めます。軽い進路相談から、「人生って何なんでしょう?」といった深遠なものまで、受けてきた相談は十人十色。そんな答えのない相談を聞く際にいつも心がけていたのは、「あなた(相談に来た生徒)にとって、一番大切なものは何?」という視点でした。時に話が白熱し、予定の勉強が終わらないまま帰宅時間になってしまったこともありましたが、それはそれでよかったかなと感じています。彼らは基礎学力を習得し、「考える」ということをし始めたからこそ疑問を持ったわけですから。
ただ予備校校舎長として正解の行動だったかというと、それは別問題ですね。
「教育とは?」というのは、普遍のテーマです。誰もが一度は通る道ですし、人が生きる上で欠かせない問題でもあります。このテーマに自分なりの解を持つことは、大人としての責任といえるかもしれません。
私たちは桜木の主張に耳を傾け、いまいちど「教育とは?」と深く考えるべき時期にきているのだと思います。