平安時代というと、華やかで雅(みやび)な世界を連想しがち。源氏物語、枕草子、栄花物語、和泉式部日記では、そんな華やかな世界が描かれた。しかしその一方で、下流貴族や一般庶民はとても貧しい暮らしをしていたことが分かっている。

大和物語は、そんな庶民の生活を垣間見れる作品で、伊勢物語よりも少し後に書かれたらしいのです。ほかの平安時代の作品とは軌を逸する大和物語について、日本史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史や文化を専門とする元大学教員。源氏物語や枕草子について調べる過程で、大和物語の平安文学のきらびやかな世界とは対照的な作風のルーツが気になりまとめてみることにした。

大和物語とはどんな作品なの?

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平安時代初期に成立したのが大和物語。伊勢物語のあとに執筆されたと言われています。伊勢物語の主人公は、物語を通して在原業平ただひとり。いっぽう大和物語には特定の主人公は存在しません。主人公は実在する天皇、有名な貴族、女房、僧など。その時代の人なら知っている人物が一話ごとに登場する、オムニバス形式の歌物語です。

大和物語の成立について

大和物語という名称の由来ははっきりしません。ひとつめの説が、伊勢物語と対比するために大和物語としたというもの。しかし、大和の地域をとくに意識していません。ふたつめの説が大和という名の女房が作者とするもの。この説についても、はっきりした根拠はありません。

作者についても不明です。宇多天皇やその周辺の人物が多く登場ことから、宇多天皇に仕えた女房が書いたとも推測されていますが、こちらも不明。源順、花山院、清少納言の父である清原元輔が書いたという説もありますが、これも証明されていません。

大和物語にはどんな特徴がある?

大和物語は170余りの章段か構成。前半は天暦年間(947年から957年)の実在の人物にまつわる歌物語となっています。とくに摂関家の主流から外れた人々が中心に登場。そんな人々にまつわるエピソードや、その折詠まれた歌の由来が書かれています。

後半は、より古い時代の人物の言い伝えが中心。後世の説話文学に近い内容です。内容的には、悲恋、離別、再開、愛する人の死など。古い伝説や伝承が、歌を通して描かれています。その説話には、私たちがことのある内容も含まれました。

大和物語と現代とのつながり

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後世、多くの版画家たちが大和物語を版画にしたり、また、短編小説化したりしました。江戸時代にはカラー版画にされたり、お習字の手本にされたり、子供向けの読み物に書き直されたりしていました。私たちが手にしているのはほとんど藤原定家により書写され、伝えられてきた二条家本系統です。

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大和物語のさまざまな伝本

二条家本とは、鎌倉時代初期に藤原定家らによって書写されてきたもの。為家本(前田家旧蔵)、為氏本(筑波大学蔵)、定家本(三条西家旧蔵)の3系統に分かれています。また、藤原清輔らによる六条家本の系統も存在。それは、御巫清三旧蔵の御巫本(みかなぎほん)、鈴鹿三七旧蔵の鈴鹿本、吉良義則旧蔵の勝命本(しょうみょうほんー)の3系統に分かれ、現在に至っています。

伊勢物語は古来多くの版画にされました。いっぽう大和物語の版画は江戸時代の尾形月耕による大木版画だけ。多くの場面が水墨画のような淡いタッチの色彩で版画にされました。150段の「昔、奈良のみかどに仕えた采女が叶わぬ恋を嘆いて猿沢の池に身を投げたお話」の版画がとくに知られています。

歌曲や戯曲に生まれ変わった大和物語

大和物語には、伊勢物語に出てくる「筒井筒」と同じ話が登場。ここから伊勢物語の影響を強く受けていることが分かります。「筒井筒」というのは、円筒形に掘った井戸のこと。愛する女性に贈った歌「筒井筒井筒にかけし麻呂がたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに」に由来します。

「愛するあなたを見ないでいるうちに、井戸の囲いと比べたわたしの背丈も囲いの高さを超えてしまったようです」というのがその意味。幼馴染の恋心を貫いた男女の話で、平安時代のみならず江戸時代に大人気となりました。

大和物語でもっとも有名な姨捨山伝説

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伊勢物語が人間心理を深く描いているのに対して、大和物語は世俗的なゴシップが中心。そのため一般大衆民衆にとって親しみやすいものでした。そのひとつが姨捨山伝説。今でもこの話を知っている人は多いでしょう。

姨捨山伝説とはどのような話?

有名な話のひとつが姨捨山伝説。飢饉、日照り、疫病が発生すると、歩けなくなった高齢者を山に捨てたという伝説が各地に伝わっています。捨てたことを悲しむ、それができずに山奥にかくまうなど、さまざまなバージョンが存在。大和物語は、その伝説を初期に採録したとも言われています。

実際に平安時代に高齢者を山に捨てることが一般化していたのかは不明。とはいえ「おばすて」というネーミングや高齢者を山に捨ているというショッキングな内容は、さまざまな空想を掻き立てることは確かでしょう。そこで、多くの文学者や映画製作者が、姥捨山伝説をヒントに作品を残しました。

姥捨山伝説のルーツは「叔母を捨てる」

数々の姥捨山伝説のなかで最初のかたちとされているのが大和物語の156段です。ここでは「姨捨」ではなく「伯母」と「甥」の話。つまり、姥捨山は「伯母を捨てる」話と考えられます。

ある男が、信濃の国の更級という所に年老いた伯母と一緒に住んでいました。男の妻が、生活に困窮していることを理由に、伯母を捨てるように男に言います。そこで男は、月の美しい夜に伯母を連れ出し山に置き去りにして家に逃げ帰りました。

この話には続きがあります。家に帰って美しい月を眺めているうちに、男は叔母を置き去りにしたことについて自責の念にかられるように。そこで男は次のような歌を詠みました。

わがこころ なぐさめかねつ さらしなや おばすてやまに てるつきをみて

そして男は伯母を迎えに山に戻ります。そのあと、男、伯母、妻がどうなったかは書かれていません。そのため余計に悲しみが込みあげます。この歌は、のちに書かれた「更級日記」の題名にも使われました。さらに最終章の重要なキーワードともなっています。

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大和物語で書かれたのは貧しい人々の悲劇

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大和物語に含まれている説話のいくつかは「文豪」と呼ばれる作家の手を介して現代によみがえりました。作家たちの心を時代を超えて惹きつけたのは、大和物語の説話に共通する人間の悲しい性や運命。それらが当時の人々のみならず現代の人々の心を打ちました。

万葉集でも詠まれた生田川伝説

生田川伝説のルーツは古墳時代の処女塚(おとめづか)伝説。神戸市には、それを今に伝える3つの古墳が残っています。真ん中が処女塚(おとめづか)古墳、東にあるのが東求女塚古墳。西にあるのが西求女塚古墳。この3つの古墳から生まれた伝説です。

処女塚伝説は、2人の男に求愛されたことを苦に投身自殺した女と、その後を追って死んだ2人の男にまつわるもの。3人の悲劇は、万葉集でも詠まれました。古墳がつくられてからわずか4世紀後。古墳をつくった権力者の名前は残りませんでしたが、そこ生まれた伝説は語り継がれ、大和物語そして現代の文学作品に継承されていきました。

大和物語の147段に記録された生田川伝説

生田川伝説が登場するのは大和物語の147段。現在の大阪府北西部から兵庫県南東部にあたる摂津の国が舞台です。二人の男性に求婚された女性は、どちらかを選ぶことができずに、川に浮かんでいる水鳥を射た方に決めることにしました。

ひとりは鳥の頭を、もうひとりは鳥の尾を射ました。決断できなくなった女性は、それを苦にして生田川に投身。2人も女のあとを追い、ひとりは女の足を捉え、もうひとり女の手を捉え、3人とも亡くなります。

生田川伝説は万葉集で詠まれた伝説がさらに複雑化したもの。中世の謡曲である「求め塚」、明治時代の森鴎外作「生田川」などで、さらに発展しました。説話のもとになった古墳の周辺は市街地化が進み、3つの古墳は街並みで遮られることに。今では、お互いを見つめることもできなくなっています。近隣に住んでいる人たちですら、この伝説を知らない人も多いというのが現状。3人の悲しい運命をさらに引き立たせています。

貧しい下流貴族の姿も知れる大和物語

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大和物語には、優美な平安貴族とは対照的な、その日暮らしのカツカツの生活をしている下級貴族も描かれています。主家が没落し、仕えていた貴族たちが乞食になることも珍しいことではありませんでした。ひとことで貴族といっても、恵まれているものからそうでないものまで、さまさまな階層があったのです。

下っ端貴族の暮らしを描く蘆刈伝説

蘆刈伝説は、摂津の国の浪速の辺りに住んでいた、下っ端貴族の貧しい夫婦の話。夫どこに仕えても何をしても上手くいかず、暮らし向きは悪くなるだけ。そこで夫は妻に「このままでは二人とも共倒れしてしまうから、今より良い暮らしをするために宮仕えをしなさい」と別れ話をもちかけ、妻は泣く泣く従いました。

ある貴族に仕えた妻は、主人に気に入られて妻になりました。しかしながら別れた夫が忘れられず、口実を作って難波に向かいます。以前の家の近くで様子を見ていると、蘆売りの男に出会いました。簾越しに話しかけてみるとそれは前の夫。そこで男の蘆を高く買い、食べ物を分け与えました。

葦苅伝説はどんな結末を迎える?

男も暖簾の向こう側にいる女性が別れた元妻であることに気が付き、自分の状況を恥じて身を隠します。そこで女性はあらゆる手を尽くして元夫を捜しだしました。すると、男は次のような歌を詠みました。

きみなくて あしかりけりとと思ふにも いとど 難波の浦ぞ住み憂き

これは、あなたがいなくて難波の裏はとても辛いという意味。それに対して元妻は「あしからじとてこそ 人の別れけめ なにか難波の浦の住み憂き」(あなたにとって悪くないようにと思って別れたのに、なぜ、あなたは難波でつらい思いをしているのでしょう)と、自分の想いを歌に込めます。そして男に着物を与えて物語は幕を下ろしました。

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この説話は谷崎淳潤一郎により「蘆刈」としてよみがえりました。また、海音寺潮五郎の「蘆刈」では、男が元妻の情けを踏みにじって稀代の盗賊となり、悪事の果てにとらえられるという内容に変更されています。不運続きの果てに犯罪者となった男性の末路はあまりに哀れ。このように、作家が生み出したさまざまなバージョンを通じて、時代を超えて共通する人間の哀れさや悲しみが伝えられています。

平安時代の貧しい一面を知れる大和物語

大和物語には、きらびやかな十二単をまとった優美な人々の姿はほとんど含まれていません。大和物語から分かるのは、貧しく恵まれない人々のどうにもならない悲しみや不遇さ。平安時代の乗り越えられない経済格差を垣間見れる読み物となっています。一部だけでも読んでみると、華やかな平安時代のイメージは一新され、リアルな姿を知るきっかけになると思いますよ。

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平安時代日本史

平安時代の庶民の暮らしを記録する「大和物語」について元大学教員が5分でわかりやすく解説

平安時代というと、華やかで雅(みやび)な世界を連想しがち。源氏物語、枕草子、栄花物語、和泉式部日記では、そんな華やかな世界が描かれた。しかしその一方で、下流貴族や一般庶民はとても貧しい暮らしをしていたことが分かっている。

大和物語は、そんな庶民の生活を垣間見れる作品で、伊勢物語よりも少し後に書かれたらしいのです。ほかの平安時代の作品とは軌を逸する大和物語について、日本史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史や文化を専門とする元大学教員。源氏物語や枕草子について調べる過程で、大和物語の平安文学のきらびやかな世界とは対照的な作風のルーツが気になりまとめてみることにした。

大和物語とはどんな作品なの?

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平安時代初期に成立したのが大和物語。伊勢物語のあとに執筆されたと言われています。伊勢物語の主人公は、物語を通して在原業平ただひとり。いっぽう大和物語には特定の主人公は存在しません。主人公は実在する天皇、有名な貴族、女房、僧など。その時代の人なら知っている人物が一話ごとに登場する、オムニバス形式の歌物語です。

大和物語の成立について

大和物語という名称の由来ははっきりしません。ひとつめの説が、伊勢物語と対比するために大和物語としたというもの。しかし、大和の地域をとくに意識していません。ふたつめの説が大和という名の女房が作者とするもの。この説についても、はっきりした根拠はありません。

作者についても不明です。宇多天皇やその周辺の人物が多く登場ことから、宇多天皇に仕えた女房が書いたとも推測されていますが、こちらも不明。源順、花山院、清少納言の父である清原元輔が書いたという説もありますが、これも証明されていません。

大和物語にはどんな特徴がある?

大和物語は170余りの章段か構成。前半は天暦年間(947年から957年)の実在の人物にまつわる歌物語となっています。とくに摂関家の主流から外れた人々が中心に登場。そんな人々にまつわるエピソードや、その折詠まれた歌の由来が書かれています。

後半は、より古い時代の人物の言い伝えが中心。後世の説話文学に近い内容です。内容的には、悲恋、離別、再開、愛する人の死など。古い伝説や伝承が、歌を通して描かれています。その説話には、私たちがことのある内容も含まれました。

大和物語と現代とのつながり

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後世、多くの版画家たちが大和物語を版画にしたり、また、短編小説化したりしました。江戸時代にはカラー版画にされたり、お習字の手本にされたり、子供向けの読み物に書き直されたりしていました。私たちが手にしているのはほとんど藤原定家により書写され、伝えられてきた二条家本系統です。

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