
「縁もゆかりも無い」の使い方・例文
「縁もゆかりも無い」の使い方について例文を挙げて解説していきます。この言葉は、たとえば以下のように用いられますよ。
1.皆さんとはあかのたにんで縁もゆかりも無いのだからと、無関係であることを保証された。
2.「僕の先祖は徳川家だ。家康の子孫なんだぞ。本当だ」と言っていたが、実際は彼の親戚が家臣の血筋を引くだけで、徳川家康とは縁もゆかりも無かった。所縁もへったくれもない。
例文のように「縁もゆかりも無い」は、何のかかわりもないということを強調する時に使われる言葉です。血縁関係や間柄を示すときに用いられますが、関係性やつながりを示す場合にも用いられますよ。
その1「縁遠い」
「縁遠い」は主に女性が結婚の相手が決まらず、いつまでも独身でいがちである様子を表します。また「縁」というのは人間と人間を結び付ける人為を超えた働き。日本社会においては男性が自分自身で結婚相手を探し結婚の申し込みをするのはふつうですが、特に封建時代、女性がみずから男性に働きかけて結婚にこぎつけるのは一般的ではありませんでした。したがって、女性は男性から働きかけ(ないし両親・親類・仲人の勧め)を待つだけの存在、つまり自分の意志の及ばない「縁」を受け取るだけの存在でした。そこで「縁遠い」ことが結婚の機会にめぐまれないという意味になりました。「縁遠い」という語には以上のような文化的背景があるので、男性について用いられることはありません。
また「縁遠い」は人為を超えた「縁」というものの存在を考えなければ、結婚しない理由がつかみにくい場合について用いるのがふつうで、結婚に対する明らかな障害がわかっている場合には用いないことが多いです。したがって「いい息子さんなのにねえ、なぜか縁遠くって」「彼女は病弱な母親と二人暮らしで縁遠い」は誤用となり、正しくは「いい息子さんなのにねえ、なぜか縁がなくって」「彼女は病弱な母親と二人暮らしで結婚難だ」となりますよ。ちなみに「縁もゆかりも無い」との違いは、「縁遠い」は主に女性が結婚の相手が決まらず、いつまでも独身でいがちである様子を表すという点でしょう。
その2「遠い」
「遠い」は関係が希薄である様子を表し、基準となる点を示してそれから隔たっているという意味で用いられています。例えば「彼は合格点にはとおい成績で落第した」は「合格点」、「大臣の発言は庶民の実感とはとおかった」は「庶民の実感」、「工事は完成にはまだまだとおい」は「工事の完成」がその基準点となります。この場合、対象は基準から大きく下回っていることが暗示され、基準を大きく超えていることは暗示しません。したがって「彼は合格点には遠い成績で合格した」は誤用となり、正しくは「彼は合格点をはるかに上回る成績で合格した」となりますよ。なお「縁もゆかりも無い」との違いは、「遠い」は関係が希薄である様子を表すという点です。
その3「心ない」
「心ない」は人間として当然もっているべき心をもっていない様子を表しますよ。「こころない子供いたずらで、花壇はめちゃくちゃになった」「こころない人々の何気ない一言が差別を生む」のように「こころない□□」という名詞にかかる修飾語として用いられることが最も多く、「きれいに掃いた石庭に足跡をつけるなんて、こころないにもほどがある」のように述語になることもありますが、その他の修飾語として用いられることは稀です。そのため「彼の行為は心なく恥ずかしい」は誤用となり、正しくは「彼の行為は思慮がたりず恥ずかしい」となりますよ。また、「心ない」が指す「心」とはさまざまの意味を持つ抽象度の高い語であって、その意味には思慮・分別、他人への思いやり、愛情、風流・情趣を解する気持ちなどがあります。
これらの「心」を持っていることが理想的な人間なのであって、理想的な人間の条件として「他人への思いやり」や「風流・情趣を解する気持ち」が含まれているのは、きわめて日本的で面白いでしょう。また、「心ない」は人間(日本人)として理想的でない人や行為を表すという点では「情けない」にも似ていますが、「情けない」はそういう人や行為に対する慨嘆の暗示が強く、状態を客観的に述べる「心ない」とはニュアンスの上で異なります。したがって「人を押しのけて自分が先にバスに乗るだなんて、心ない話だ」は誤用となり、正しくは「人を押しのけて自分が先にバスに乗るだなんて、情けない話だ」となりますよ。ちなみに「縁もゆかりも無い」との違いは、「心ない」は人間として当然もっているべき心をもっていない様子を表すという点です。
「縁もゆかりも無い」の対義語は?
「縁もゆかりも無い」と反対の意味に近い言葉をご紹介します。さっそく見ていきましょう。
「懇ろ」
「懇ろ」は「課長とは家族ぐるみでねんごろに付き合っている」のように人間関係が親密でよく慣れている様子を表します。客観的に親密な状態を表すニュアンスが強いですが、「親しい」よりも情愛がこまやかである暗示があり、しばしば「半年前から彼女とねんごろになった」のように男女関係について深い(性的)交渉があるという意味で用いられますよ。なお、情愛が濃い関係という意味では「懇ろ」は「睦まじい」にも似ていますが、「睦まじい」は異性や子ども同士の親密な愛情関係について用いることが多いでしょう。
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