この記事では「暑さ寒さも彼岸まで」について解説する。

端的に言えば暑さ寒さも彼岸までの意味は「暑さは秋分まで、寒さは春分まで」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

自治体広報紙の編集を8年経験した弘毅を呼んです。一緒に「暑さ寒さも彼岸まで」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/八嶋弘毅

自治体広報紙の編集に8年携わった。正確な語句や慣用句の使い方が求められるので、正しい日本語の使い方には人一倍敏感。

「暑さ寒さも彼岸まで」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「暑さ寒さも彼岸まで」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「暑さ寒さも彼岸まで」の意味は?

「暑さ寒さも彼岸まで」には、次のような意味があります。

残暑のきびしさも秋の彼岸ともなればめっきり衰え、余寒のきびしさも春の彼岸ごろにはいちだんと薄らぐものだの意。暑い寒いも彼岸まで。

出典:精選版日本国語大辞典(小学館)「暑さ寒さも彼岸まで」

「暑さ寒さも彼岸まで」の彼岸は1年に2回あります。春のお彼岸が春分の日(3月21日頃)を中心とした1週間、秋のお彼岸は秋分の日(9月23日頃)を中心とした1週間です。春分の日と秋分の日がちゃんと決められた日ではなく「頃」とされているのは、地球が太陽の周囲を公転する期間がぴったり365日ではないことに理由があります。そして春分の日と秋分の日を中日と呼び、この期間に行われる仏事が彼岸会(ひがんえ)です。

仏教では昼と夜の長さが同じになる彼岸は、阿弥陀仏(阿弥陀如来)が治める極楽浄土の門が開くとされています。信心深い人は真東から上り真西に沈む太陽を拝んだり、お墓参りに出かけたりするものです。

「暑さ寒さも彼岸まで」の語源は?

次に「暑さ寒さも彼岸まで」の語源を確認しておきましょう。先に述べたように春分の日や秋分の日は昼と夜の長さが同じになります。つまり春分の日の前までは夜が長いので寒い日が続き、秋分の日までは昼が長いので暑い日が続くのです。ところが春分の日を境に本格的に季節が春になり、徐々に温かい日が多くなります。また秋分の日を区切りとして季節は秋を迎え夏の暑さも一段落です。このように彼岸を境に昼夜の長さが逆転します。

こうした気候の変わり目を昔の人は敏感に捉え、「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉を使うようになりました。彼岸とはかんたんに言えばあの世つまり仏様の世界のことです。逆に私たち人間が今住んでいる現世を此岸(しがん)と言います。此岸と彼岸の間には一本の川があると考えるとわかりやすいでしょう。こちらの岸が此岸で向こう岸が彼岸です。お彼岸の日にはその川を渡って先祖が帰ってくると考えられており、宗派によって様々な風習が年中行事として残っています。

\次のページで「「暑さ寒さも彼岸まで」の使い方・例文」を解説!/

「暑さ寒さも彼岸まで」の使い方・例文

「暑さ寒さも彼岸まで」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、例えば以下のように用いられます。

1.暑さ寒さも彼岸までと言うが、最近は異常気象のせいで日々の変化を感じにくくなっている。
2.暑さ寒さも彼岸までと言うけれど、毎日の生活に追われているとそんな季節の変化に気がつかず過ぎてしまう。
3.仕事でも人生でも悪い時期が過ぎればいいことがやってくる。暑さ寒さも彼岸までというじゃないか。

浄土宗の教えに「二河白道(にがびゃくどう)」があります。右側には水の河が逆巻き、左側では火の河が燃え盛っており、その中央に白い道があるのです。水の河と火の河はそれぞれ欲望、憎悪といった人間の煩悩を表しており、白い道は仏の導きを得て彼岸に至る道程を表しています。つまり私たち衆生は、誰でも信仰によって悟りの境地に至ることができることを教えているのが「二河白道」という言葉なのです。

皆さんも和尚さんの法話などでこの話を聞かれたことがあるかもしれません。このように日本人は昔から、お彼岸を特別な日と位置づけ、先祖を敬い死生観を培ってきたのでしょう。

「暑さ寒さも彼岸まで」の類義語は?違いは?

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ここでは「暑さ寒さも彼岸まで」の類義語を見ていきましょう。

その1「楽あれば苦あり」

「暑さ寒さも彼岸まで」の類義語の一つとして「楽あれば苦あり」が挙げられます。凍てつく寒さやうだるような猛暑を乗り切れば暑さ寒さが緩み、しのぎやすくなるものです。そしてまた、徐々に暑さや寒さが厳しくなってきます。「楽あれば苦あり」も、楽しいことや嬉しいことがあれば、そのあとには苦労が待っていることを指した人生訓と言えるでしょう。つまり暑さや寒さあるいは楽しいことや苦労はいつまでも続かないから、くじけることなく一日一日を過ごすべきだと言っているのです。

\次のページで「その2「人間万事塞翁が馬」」を解説!/

その2「人間万事塞翁が馬」

「人間万事塞翁が馬」も「暑さ寒さも彼岸まで」の類義語の一つとして挙げられるでしょう。この場合の「人間」は「じんかん」と読み、世間を意味します。人生の幸不幸は予測できないことだから、その都度喜んだり悲しんだりしても意味がないことを教えているのです。

この言葉は昔、中国の塞翁と名乗る老人の馬が逃げてしまったことから始まる故事にちなんでいます。塞翁は気の毒がる人々の前で「そのうち福が来る」と落胆する様子がありません。やがて塞翁の言うとおり、逃げた馬は駿馬を連れて帰ってきました。人々が祝福すると塞翁は「これは不幸のもとだ」と言います。すると塞翁の息子が落馬して脚を骨折してしまいました。人々が見舞うと「これは幸福のもとになる」と言ってのけたのです。予言どおり隣国から軍隊が攻めこんできて戦争になってしまい多くの若者が戦死してしまいましたが、塞翁の息子は脚を骨折していたために兵役を免れ戦死しなくてすみました。「人間万事塞翁が馬」という故事はこうして生まれたのです。

その3「禍福は糾える縄の如し」

「禍福は糾える縄の如し」も「暑さ寒さも彼岸まで」の類義語です。古代中国前漢の時代に司馬遷がまとめた歴史書『史記』の「南越列伝」に記載されている故事がもとになっています。幸福と不幸はより合わされた縄のように交互に巡ってくるという意味です。「暑さ寒さも彼岸まで」「人間万事塞翁が馬」「禍福は糾える縄の如し」いずれもが人生の苦楽は交互に来るものであり、いつまでも苦楽が続くわけではないことを教えています。

「暑さ寒さも彼岸まで」の対義語は?

次に「暑さ寒さも彼岸まで」の対義語を見ていきましょう。

「彼岸過ぎまで七雪」

「暑さ寒さも彼岸まで」の対義語として「彼岸過ぎまで七雪(ななゆき)」が挙げられます。この言葉は春の彼岸だけに使われる言葉で、彼岸が過ぎてもたびたび雪が降るという意味です。「彼岸過ぎても七はだれ」とも言います。「はだれ」とは雪がはらはらと降ったり薄く積もることです。寒さが一区切りつくはずの彼岸を過ぎてもなお雪が降ることですから「暑さ寒さも彼岸まで」の対義語と言えるでしょう。

「暑さ寒さも彼岸まで」の英訳は?

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最後に「暑さ寒さも彼岸まで」の英訳を見ていきましょう。

その1「Extremes of temperature last only till the equinox」

「Extremes of temperature last only till the equinox」を訳すと「厳しい気温も春分や秋分まで」となります。「equinox」の原義は「nox」が「夜」で「equi」が「等しい」です。つまり昼夜の長さが一緒になる春分、秋分のことを指しています。

\次のページで「その2「Neither heat nor cold lasts beyond the equinox」」を解説!/

その2「Neither heat nor cold lasts beyond the equinox」

「Neither heat nor cold lasts beyond the equinox」「暑さ寒さも彼岸まで」の英訳です。「neither 」は「どちらでもない」という意味で「暑さも寒さも春分や秋分を超えて続くことはない」という意味になります。「Extremes of temperature last only till the equinox」同様「暑さ寒さも彼岸まで」の英訳です。

「暑さ寒さも彼岸まで」を使いこなそう

この記事では「暑さ寒さも彼岸まで」の意味・使い方・類語などを説明しました。季節の変わり目に関連した言葉ですが、これはそのまま人生における教訓を表しているのではないでしょうか。今の状況がずっと続くことはなく、常に変転するものだからいたずらに目先の事柄に捕らわれることなく長い目で世の中を見ようとする世界観を教えてくれる言葉だと言えるでしょう。

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国語言葉の意味

【慣用句】「暑さ寒さも彼岸まで」の意味や使い方は?例文や類語を元広報紙編集者がわかりやすく解説!

この記事では「暑さ寒さも彼岸まで」について解説する。

端的に言えば暑さ寒さも彼岸までの意味は「暑さは秋分まで、寒さは春分まで」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

自治体広報紙の編集を8年経験した弘毅を呼んです。一緒に「暑さ寒さも彼岸まで」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/八嶋弘毅

自治体広報紙の編集に8年携わった。正確な語句や慣用句の使い方が求められるので、正しい日本語の使い方には人一倍敏感。

「暑さ寒さも彼岸まで」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「暑さ寒さも彼岸まで」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「暑さ寒さも彼岸まで」の意味は?

「暑さ寒さも彼岸まで」には、次のような意味があります。

残暑のきびしさも秋の彼岸ともなればめっきり衰え、余寒のきびしさも春の彼岸ごろにはいちだんと薄らぐものだの意。暑い寒いも彼岸まで。

出典:精選版日本国語大辞典(小学館)「暑さ寒さも彼岸まで」

「暑さ寒さも彼岸まで」の彼岸は1年に2回あります。春のお彼岸が春分の日(3月21日頃)を中心とした1週間、秋のお彼岸は秋分の日(9月23日頃)を中心とした1週間です。春分の日と秋分の日がちゃんと決められた日ではなく「頃」とされているのは、地球が太陽の周囲を公転する期間がぴったり365日ではないことに理由があります。そして春分の日と秋分の日を中日と呼び、この期間に行われる仏事が彼岸会(ひがんえ)です。

仏教では昼と夜の長さが同じになる彼岸は、阿弥陀仏(阿弥陀如来)が治める極楽浄土の門が開くとされています。信心深い人は真東から上り真西に沈む太陽を拝んだり、お墓参りに出かけたりするものです。

「暑さ寒さも彼岸まで」の語源は?

次に「暑さ寒さも彼岸まで」の語源を確認しておきましょう。先に述べたように春分の日や秋分の日は昼と夜の長さが同じになります。つまり春分の日の前までは夜が長いので寒い日が続き、秋分の日までは昼が長いので暑い日が続くのです。ところが春分の日を境に本格的に季節が春になり、徐々に温かい日が多くなります。また秋分の日を区切りとして季節は秋を迎え夏の暑さも一段落です。このように彼岸を境に昼夜の長さが逆転します。

こうした気候の変わり目を昔の人は敏感に捉え、「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉を使うようになりました。彼岸とはかんたんに言えばあの世つまり仏様の世界のことです。逆に私たち人間が今住んでいる現世を此岸(しがん)と言います。此岸と彼岸の間には一本の川があると考えるとわかりやすいでしょう。こちらの岸が此岸で向こう岸が彼岸です。お彼岸の日にはその川を渡って先祖が帰ってくると考えられており、宗派によって様々な風習が年中行事として残っています。

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