
その2「医者と味噌は古いほどよい」
「医者と味噌は古いほどよい」とは、「味噌が年月を経た熟成されたものがうまいのと同じように、医者も経験を積んだ人ほど安心して治療をまかせられる」という意味で使われています。同じ意味をもつことわざとして、「新しい医者と新しい墓へは行くな」や「医者と坊主は年より程よい」や「医者と唐茄子は年寄る程よい」などがあるのです。
「医は仁術」の対義語は?
「医は仁術」の対義語は何でしょうか。
その1「医者の不養生」
「医者の不養生」とは、医者は患者に養生することはすすめるけれども自分自身のことになると、後回しにしてなかなか養生しないことから「理屈ではわかっているけれども自分ではそのような行動をなかなかとらない」ことを言います。儀玄は江戸時代の医学者の平賀源内の著書にある「医者の不養生、坊主の不信心」という一節からです。「そんなに大酒飲んでたばこを吸ってたら、まるで医者の不養生を絵に描いたようだ」などと使われます。
医者以外でも、指導する立場の人が、他人には説教したりするが自分のこととなると何もしないことに対して使われますね。
その2「藪医者の玄関」
「藪医者の玄関」(読み方は「やぶいしゃのげんかん」)とは、「見えばかりを気にして腕がともなわない医者のこと」を言います。似たようなことわざに「藪医者の只今」(読み方は「やぶいしゃのただいま」)ということわざがあるのです。これは、往診を頼まれた医者が「ただいま参ります」などと言いながらも待てども待てども来てくれないことのたとえから、「信用できない約束をする」という意味になります。
その3「医者上手にかかり下手」
ことわざの「医者上手にかかり下手」は、どんなに名のとおった医者でも患者が信用していなければ病気は治らないということから「物事をおこなうにはパートナーを信頼しなければ成功しない」という意味で使われるようになったのです。「得意な科目の授業を受けるのに、先生が嫌いということは、医者上手にかかり下手ということになるな」などと使われます。
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