今回は、「ジョン・ドルトンの功績」について解説していきます。

ジョン・ドルトンは、原子や気体などの物理化学の分野において、多くの実績を残した物理学者・化学者の一人です。ドルトンの理論は当時としては先進的な考えであった。それゆえ、ドルトンは現近代の科学にも大きな影響を与えた人物でもあるぞ。ぜひこの機会に、「ジョン・ドルトンの功績」についての理解を深めてくれ。

塾講師として物理を高校生に教えていた経験もある通りすがりのぺんぎん船長と一緒に解説していきます。

ライター/通りすがりのペンギン船長

現役理系大学生。環境工学、エネルギー工学を専攻しており、物理学も幅広く勉強している。塾講師として物理を高校生に教えていた経験から、物理の学習において、つまずきやすい点や勘違いしやすい点も熟知している。

ジョン・ドルトンについて知ろう!

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この記事では、ジョン・ドルトンという学者をメインテーマとして、お話を進めていきます。ジョン・ドルトンは物理化学の分野で多くの論文や仮説を発表していました。つまり、ジョン・ドルトンは物理学者であり、化学者でもあったのです。また、気象学者として活躍した時期もありました

以下では、ジョン・ドルトンがどのような人物であったか彼の研究はどのようなものであったかなどを解説していきます。解説の中で難しい用語や言葉を目にすることがあるかもしれません。このような場合は、それらの意味を1つ1つしっかりと確認しておいてくださいね。

ドルトンの人生

ドルトンの人生

image by Study-Z編集部

ドルトンは1766年にイギリスのカンバーランド州で生まれました。若いころは数学と自然哲学の教師として働き、その後マンチェスターに移りましたよ。マンチェスターでは、哲学者であるジョン・ゴフのもとで学びを続けます。

時を同じくして、ドルトンはロビンソンという気象学者に影響を受けて、気象学を学ぶようになりますよ気象学を学ぶ過程では、独自にハドレー循環に相当する理論を発見するなど、研究者としての才能を発揮しました

このような経験を経て、ドルトンは物理学と化学の研究者になったのです。ドルトンは有名な研究者となり、弟子も多くかかえることになります。その弟子の中には、熱量の単位の由来となったジェームズ・プレスコット・ジュールもいましたよ

先天色覚異常であったドルドン

ジョン・ドルトンは、先天色覚異常という障がいをもっていました。そのような事情があり、ドルトンは色覚に関連する研究も行っていたのです。実際、彼の論文の中では、「他者が赤と呼ぶ色は、私には単なる影にしか見えない」と述べられていますよ。

ドルトンが提唱した色覚についての仮説は間違っていることが後に判明しましたが、記録に残っている限り近代におけるはじめての色覚についての研究であったため、その先駆性が評価されています。このような背景から、先天色覚異常のことはドルトニズムと呼ばれるようになりました。

\次のページで「ドルトンが近代科学・現代科学に与えた影響」を解説!/

ドルトンが近代科学・現代科学に与えた影響

ドルトンが提唱した理論の中で、最も世界にインパクトを与えたものは、原子についての新しい概念でした。この理論はいわゆる元素についてのものでしたよ。そして、ドルトンの原子に関する理論は科学の近代化にも大きな影響を与えたのです。今日、以上のような概念は小学校や中学校の授業でも扱われるほど人々の間に定着していますよね

ドルトンの理論に支えられて、原子物理はさらに発展していきました。ドルトンの理論が存在しなければ、ラザフォードや長岡半太郎が原子模型を考え出す時期も遅れていたかもしれません。また、現代物理学を支える量子力学などの誕生にも、ドルトンの理論は影響を与えたと表現しても過言ではないでしょう。

ドルトンの発見

ドルトンが生涯で取り組んだ研究の題材は、多くの分野にまたがっていました。具体的には、水圏の物質収支・熱・色覚・光・気体・原子などのテーマに取り組んでいましたよ。これらに加えて、英文法に関する論文を発表したこともあるようです。

ここでは、ドルトンが行った数多くの研究の中から、有名な発見だと言える3つの事柄について詳しく述べます。その3つの発見とは、ドルトンの法則ドルトンの原子論原子量の特定です。ドルトンの名が含まれるものが多いことからも、偉大な発見であることがうかがい知れますよね

ドルトンの法則

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ドルトンの法則は混合気体の分圧についての理論です。ドルトンの法則によると、2種以上の気体を同一容器に封入した際の各気体の分圧は、それぞれの気体の物質量に比例します。ただし、この理論は理想気体にのみ適応可能です

以上のような説明だけでは理解しづらい部分もあるかと思いますので、具体例を1つあげて詳しい解説をしますね。例えば、1molの気体Aと2molの気体Bの混合気体を同一容器に封入した時の全圧は3(atm)であったと仮定します。このとき、各気体の分圧は、それぞれの気体の物質量にしたがって比例配分されるのです。つまり、気体Aの分圧は1(atm)気体Bの分圧は2(atm)となるのですね。

ドルトンの法則は、化学実験を行う際の計算に頻繁に用いられます。また、化学工業のプラントの運用計画などを行う際にもこの法則が用いられますよ。このようなことから、ドルトンの法則がいかに大きな発見であったかがわかりますよね。

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ドルトンの原子論

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ドルトンの原子論は、あらゆる物質を構成している原子について、はじめて体系的にまとめられた理論ですドルトンの原子論は5つの原則によって説明されます

1つ目の原則は、『ある元素の原子は他のそれとは異なり、異なる元素の原子は相対原子質量の違いで判断できる』というものです。2つ目は『同じ元素の原子は同じ質量・大きさ・性質をもつ』、3つ目は『化合物は異なる原子が一定の割合で結合したものである』というものでしたよ。そして、4つ目は『化学反応は原子間の結合が変化するもので、総原子数は変化しない』というものです。最後の5つ目は『元素は原子という小さ粒子によってできている』という原則ですよ。

これらの原則の中には誤った解釈のものが存在しますが、限りなく正解に近いところまでたどりついています。以上のような原則は、現在私たちが学校の授業で学習する内容でもありますよね。

原子量の特定

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ドルトンは原子論に関する研究を行っている過程において、複数の原子の相対原子量を求めることに成功しています。最初に原子量を特定することができたものは、水素酸素窒素炭素硫黄リンという6つの元素でした。

これらの元素の原子量は、水・アンモニア・二酸化炭素などを詳細に分析することで導いたとされています。また、ドルトンは各原子の大きさを求めることも試みていたという説もありますが、その結果は世に出ることはありませんでした

ジョン・ドルトンの功績について学ぼう!

ジョン・ドルトンは『ドルトンの法則』や『ドルトンの原子論』を発表した物理学者・化学者であり、近代および現代の科学にも大きな影響を与えた人物でもあります。特に、原子論で述べられている内容は、現在の原子に対する人類の認識にかなり近くなっていますよね。

このような事実から、ドルトンの偉大さを感じられます。この記事では、ドルトンいう人物の生き方もあわせて、解説しました。ぜひこの機会に、ジョン・ドルトンの功績について学んでみてくださいね。

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化学原子・元素物理物質の状態・構成・変化理科量子力学・原子物理学

3分で簡単ジョン・ドルトンの功績!化学分野で偉業を成し遂げた人物を理系学生ライターが徹底わかりやすく解説

今回は、「ジョン・ドルトンの功績」について解説していきます。

ジョン・ドルトンは、原子や気体などの物理化学の分野において、多くの実績を残した物理学者・化学者の一人です。ドルトンの理論は当時としては先進的な考えであった。それゆえ、ドルトンは現近代の科学にも大きな影響を与えた人物でもあるぞ。ぜひこの機会に、「ジョン・ドルトンの功績」についての理解を深めてくれ。

塾講師として物理を高校生に教えていた経験もある通りすがりのぺんぎん船長と一緒に解説していきます。

ライター/通りすがりのペンギン船長

現役理系大学生。環境工学、エネルギー工学を専攻しており、物理学も幅広く勉強している。塾講師として物理を高校生に教えていた経験から、物理の学習において、つまずきやすい点や勘違いしやすい点も熟知している。

ジョン・ドルトンについて知ろう!

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この記事では、ジョン・ドルトンという学者をメインテーマとして、お話を進めていきます。ジョン・ドルトンは物理化学の分野で多くの論文や仮説を発表していました。つまり、ジョン・ドルトンは物理学者であり、化学者でもあったのです。また、気象学者として活躍した時期もありました

以下では、ジョン・ドルトンがどのような人物であったか彼の研究はどのようなものであったかなどを解説していきます。解説の中で難しい用語や言葉を目にすることがあるかもしれません。このような場合は、それらの意味を1つ1つしっかりと確認しておいてくださいね。

ドルトンの人生

ドルトンの人生

image by Study-Z編集部

ドルトンは1766年にイギリスのカンバーランド州で生まれました。若いころは数学と自然哲学の教師として働き、その後マンチェスターに移りましたよ。マンチェスターでは、哲学者であるジョン・ゴフのもとで学びを続けます。

時を同じくして、ドルトンはロビンソンという気象学者に影響を受けて、気象学を学ぶようになりますよ気象学を学ぶ過程では、独自にハドレー循環に相当する理論を発見するなど、研究者としての才能を発揮しました

このような経験を経て、ドルトンは物理学と化学の研究者になったのです。ドルトンは有名な研究者となり、弟子も多くかかえることになります。その弟子の中には、熱量の単位の由来となったジェームズ・プレスコット・ジュールもいましたよ

先天色覚異常であったドルドン

ジョン・ドルトンは、先天色覚異常という障がいをもっていました。そのような事情があり、ドルトンは色覚に関連する研究も行っていたのです。実際、彼の論文の中では、「他者が赤と呼ぶ色は、私には単なる影にしか見えない」と述べられていますよ。

ドルトンが提唱した色覚についての仮説は間違っていることが後に判明しましたが、記録に残っている限り近代におけるはじめての色覚についての研究であったため、その先駆性が評価されています。このような背景から、先天色覚異常のことはドルトニズムと呼ばれるようになりました。

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