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「ニーチェ」って誰?人間と世界の関係を探究した哲学者の人生と思想について元大学教員が5分で解説

フリーランスとして生涯を生きたニーチェ

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By Elsteraue, CC BY-SA 3.0, Link

ニーチェは大学教授としての職を得ましたが、病気がちだったことを理由にその職を辞します。その後は、療養に適した場所を転々としながら執筆活動を継続。支援者の経済的サポートを受けながら自身の考察をまとめていきました。

健康がすぐれず教授職を退職

ニーチェは子供のころから病気がち。もともと強い近視だったことから目の不調に悩まされていました。さらには片頭痛や胃痛も抱えていました。さらには、馬から落ちたりジフテリアにかかったりするなど、体調を崩す要因が重なります。頭痛がさらに激しくなり、仕事を続けることが難しいと判断したニーチェは大学を辞めることを決意しました。

バーゼル大学からの年金とパトロンからの経済支援を支えに、フリーとなったニーチェは気候のよい場所を探して、あちらこちらを転々とする日々。どこにも属さず、フリーの哲学者として執筆活動を続けます。このときニーチェの身の回りの世話をしたのが妹のエリーザベト。しかし彼女が、反ユダヤ主義者のベルンハルト・フェルスターと結婚したことにより関係性が悪くなってしまいました。

晩年は精神を病んだニーチェ

もともと健康状態がすぐれなかったニーチェですが、精神状態も悪くなっていきます。癇癪をおこすことが増え、イタリアのトリノ市に行ったとき、警察にやっかいになる騒ぎを起こしてしまいました。さらにニーチェは、心配する友人たちにあてて、自分をブッダ、ディオニュソス、カエサル、ナポレオンなどと同一視する、奇妙な手紙を送るようになります。

手紙を見て心配した友人たちはニーチェを精神病院に入れるように助言。晩年は精神病院で過ごすことになりました。1900年8月25日にニーチェは55歳で死去。死因は肺炎でした。ニーチェの遺体は家族の意向により父の隣に埋葬されます。ニーチェの遺言は一部の友人のみでひっそりと葬儀をすること。しかしこの遺言は守られず、妹のエリザベートは軍の関係者や権威ある知識人を呼び、大々的に行われました。

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ニーチェは、心身が弱く社会のなかでは弱者だった。しかし彼の思想がとても力強いものだったため、時代の強者に利用された印象がある。ニーチェは権力に評価されることよりも、身近な気心のしれた友人たちとゆっくり過ごしたかったのだろう。残念ながら、妹夫妻の権力欲に利用された感じもする。

ニーチェは現代人に生き方を示唆した哲学者

ニーチェの哲学者、西洋の人々のキリスト教を中心とする価値観とのかかわり方に一石を投じたもの。キリスト教に限らず、私たちのまわりには思考や行動をがんじがらめにする、さまざまな価値観があります。それから自由になり、自分の意志で考え判断することの重要性を説いたニーチェの思想はとても普遍的であり現代的。ニーチェの著作はどれも力強い表現にあふれており読者に力を与えてくれます。自分の心に響くフレーズを探すような気軽な気持ちで読んでみてもいいのではないでしょうか。

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hikosuke