
「何彼につけ」の使い方・例文
「何彼につけ」の使い方について例文を挙げて解説していきます。この言葉は、たとえば以下のように用いられますよ。
1.課長はなにかにつけすぐ僕をバカにする。
2.祖父はなにかにつけ戦時中の話を持ち出す。
3.イタリアンはなにかにつけカタカナ語が多い。
4.外出自粛で全国の消費が低迷している中、なにかにつけ不況のあおりを食う。
例文1からは課長に目の敵にされている様子が伺えますし、例文2からは戦争経験者にとって当時のことは色あせないまま記憶に刻まれていることが読み取れます。また、例文3はグルメな友達と食事をしている時に、すべての料理がカタカナで表記されていて、漢字が一つも見当たらないことに驚いている外国語が苦手な老人の感想。さらに例文4は焼肉店や喫茶店、焼酎などの酒類を提供している飲食店のみならず、その他の企業にも景気後退が拡大しているのとは裏腹に、医療分野や生命科学は急速に売り上げを伸ばし二極化している状況を嘆いている様子です。
その1「絶えず」
「絶えず」は途切れることなく行動し続ける様子を表す副詞。「こうして我々が雑談している間も地球はたえず動いている」「親は子供の幸福をたえず考えているものだ」などのように述語にかかる修飾語として用いられます。また、途切れることなく継続する場合に用いられ、状態が継続する場合には用いられません。「絶えず」は「いつも」「常に」や「始終」「しょっちゅう」などに似ていますが、「いつも」は一定の状態を同じように保つ恒常性の暗示がありますし、「始終」「しょっちゅう」は基本的に頻度が高いという意味で用いられます。
したがって「そう絶えずうまくは行かないよ」「彼は絶えず帽子をかぶって出社する」は誤用となり、正しくは「そういつもうまくは行かないよ」「彼はいつも(常に)帽子をかぶって出社する」となりますよ。ちなみに「何彼につけ」との違いは、「何彼につけ」は機会あるごとにあまり好ましくない行動を繰り返す様子を表し、話者の慨嘆の暗示がこもるという点。
その2「いつでも」
「いつでも」は行動が時と場合によらない様子を表しますよ。「彼女のピアノはいつでも三段目で間違える」「あいつ、いつでも母親の言いなりなんだぜ」などのように述語にかかる修飾語として用いられます。また、行動を起こすたびごとにその結果を確認するニュアンスでしばしば慨嘆の暗示を伴いますよ。この「いつでも」は「いつも」や「常に」に似ていますが、「いつも」はやや客観的で習慣性の暗示があるので、好ましいことについては「いつも」の方がふつうに用いられますし、「常に」は一定の状態が継続する暗示があります。なお「何彼につけ」との違いは、「何彼につけ」は機会あるごとにあまり好ましくない行動を繰り返す様子を表すという点。
「何彼につけ」の対義語は?
「何彼につけ」と反対の意味に近い言葉をご紹介します。さっそく見ていきましょう。
その1「時々」
「時々」は頻度が少ない様子を表しますよ。「寒くなるとときどき思い出したように古傷が痛む」「ときどきは窓を開けて空気を入れ換えなさい」などのように述語にかかる修飾語として用いられます。頻度は「ときおり」「ときたま」「たまに」よりも高く、「しばしば」「たびたび」「しょっちゅう」「四六時中」よりも低いでしょう。主体の関知できない物事についても、意図的な行為についても用いられます。また客観的な表現で、頻度が少ないことについて特定の感情を暗示しません。ちなみに「ときどき」は「おりおり」に似ていますが、「おりおり」はとてもかたい文章語で日常会話にはあまり登場しません。
その2「時たま」
「時たま」は頻度が非常に少ない様子を表す表現。ややくだけた表現で日常会話中心に用いられます。例えば「聡に毎日会っているのか?ときたまよ」「その線路はほんのときたまローカル線が通るだけで、あとは猫の散歩道になっている」などのように述語にかかる修飾語として用いることが多いですが、前者のように述語部分を省略することもあります。後者の「ほんのときたま」は「ときたま」をさらに誇張しますよ。
頻度が非常に少なくめったに同じようなことが起こらない様子を気軽さの暗示を伴って表します。頻度を表す語としては他に「ときどき」「ときおり」「たまに」などがありますが、「ときどき」は「ときたま」より頻度が高いですし、「ときおり」はややかたい文章語で、主体の意図的な行為についてはあまり用いられません。そして「たまに」には価値の暗示があります。
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