その2「何やら」
「何やら」は漠然と感じられる様子を表す副詞。客観的な根拠はないが漠然と話者に感じられるという意味で、しばしば対象の外見の様子に疑問や不審を抱く暗示があり、感じる程度は相対的に低いです。主体が自分の心の中に感じるという意味では現在ではあまり用いられず、その場合には「何か」「何となく」を用いることが多いでしょう。そのため「春になると何やらうれしい」は誤用となり、正しくは「春になると何か(何となく)うれしい」となります。
この「何やら」は「何か」や「何となく」に似ていますが、「何か」は対象に触発されて主体が感じる暗示がありますし、「何となく」は漠然とした希望や意図的でない行為などについても用いられますよ。したがって「彼はただ何やら毎日を過ごしている」は誤用となり、正しくは「彼はただ何となく毎日を過ごしている」となります。ちなみに「何となし」との違いは、「何となし」には対象の外見の様子に疑問や不審を抱く暗示がないという点。
その3「なんだか」
「なんだか」は漠然と感じているのを認める様子を表します。「君の夢を聞いたらなんだかわくわくしてきたよ」「彼女のあいまいな態度がなんだか気がかりだ」などのように述語にかかる修飾語として用いられますよ。客観的な根拠はありませんが、対象に触発されて漠然と感じることを改めて認識し直すというニュアンスがあります。この「なんだか」は「何となし」や「何やら」「何故か」などに似ていますが、「何となし」は漠然と起こってくる主観的な感情や状態、また意図的でない行為を表し、対象に触発される暗示はありません。
「何やら」は対象の外見の様子に主体が疑問や不審を抱く暗示がありますし、「何故か」は客観的な理由が分からないという暗示が強い。そのため「彼はただ何だか毎日を過ごしている」「彼はいくら非難されても何だか抗議しなかった」は誤用となり、正しくは「彼はただ何となく毎日を過ごしている」「彼はいくら非難されても何故か抗議しなかった」となります。
「何となし」の対義語は?
「何となし」と反対の意味に近い言葉をご紹介します。さっそく見ていきましょう。
「断固」
「断固」は強い意志を持って行う様子を表す表現。「言われなき侮辱はだんこ講義する」は動詞にかかる修飾語、「違反者にはだんこたる処置で望むつもりだ」は名詞にかかる修飾語の用法です。行動を起こすにあたっての主体の強い意志を表し、しばしば行動が重大で深刻な意味をもつ暗示がありますよ。後者の「断固たる処置」は厳罰という意味であって、軽い罰則を厳正に適用するという意味ではありません。
また、しばしば他人の意見に耳を貸さない頑固さの暗示を伴いますが、行動が継続するかその意志をも続けるかについては言及しません。強い意志を表す語としては他に「断じて」「あくまで」「徹頭徹尾」などがありますが、「断じて」は話者の意志や判断を誇張的に表し話者の強い確信を暗示しますし、「あくまで」は主体の主観的な継続の意志を暗示します。そして「徹頭徹尾」は最初から最後まで一貫して同一の行動を継続する暗示がありますよ。
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