
その2「是非ない」
「是非ない」は是非を論ずるまでもなく事態を受け入れる様子を表す形容詞。「彼が委員になったのはぜひないことだった」のように修飾語で用いられることが多く、述語になるときは「事情が事情だからぜひもない」のように「是非もない」という形になることが多いです。「是非ない」は「仕方がない」に似ていますが、「仕方がない」がある状況に基づいて主観的な判断を下して諦めているニュアンスがあるのに対して、「是非ない」はもっと理性的で客観的な根拠のある点で異なりますよ。そのため「今さら後悔したって是非ないことだ」は誤用となり、正しくは「今さら後悔したって仕方がないことだ」となります。
「是非ない」は「やむを得ない」にも近いですが、「やむを得ない」は話者の判断としてのあきらめを意味し客観的な根拠を暗示しない点で異なりますよ。「是非ない」はまた「余儀ない」にも似ていますが、「余儀ない」が事態を受け入れるに際して他にとるべき道がないことを強調する暗示があるのに対して、「是非ない」は受け入れ方に客観性があることを暗示します。したがって「是非ない選択」は「しかたがない選択」、「余儀ない選択」は「他にとるべき道がない選択」というニュアンスになるでしょう。ちなみに「何が何でも」との違いは、「何が何でも」はどんな事態になっても目的を完遂しようとする主体の強い意志を暗示するという点です。
その3「絶対」
「絶対」は意思や判断を誇張する様子を表します。「ぜったいにご迷惑はおかけしません」などのように述語にかかる修飾語になりますが、「今度の発表会には必ず来てね。絶対よ」のように述語部分を省略する用法もありますよ。理由のいかんを問題にせず、話者が非常に強い確信をもっている様子を誇張的に表します。肯定的な内容の場合には「絶対」は「必ず」や「きっと」に似ていますが、「必ず」は例外なく一定の結果になるという法則性を元にした確信を暗示しますし、「きっと」は主観的で確信の程度はやや低い。また、否定的な内容の場合には「絶対」は「決して」や「断じて」に似ていますが、「決して」はある前提を踏まえてなお強く打ち消すニュアンスがあり、しばしば条件付きの否定や部分否定になることがあります。
「断じて」はとてもかたい文章語で、規範や客観的な根拠に基づく話者の非常に強い確信を暗示するでしょう。そのため「絶対に美人ではない」は「不美人である」、「決して美人ではない」は「美人とは言い切れない」、「断じて美人ではない」は「美人でない根拠がある」というニュアンスになります。ちなみに「何が何でも」との違いは、「何が何でも」はあらゆる困難を排除して目的を完遂しようとする様子を表すという点。
「何が何でも」の対義語は?
「何が何でも」と反対の意味に近い言葉をご紹介します。さっそく見ていきましょう。
「あわよくば」
「あわよくば」は目標を達成した上にそれ以上を望む様子を表しますよ。「目標は入賞だがあわよくばメダルを狙っている」「(競馬で)損を取り返してあわよくば儲けたい」などのように述語にかかる修飾語として用いられます。一定の目標は達成した上で、それ以上のものを実力や努力でではなく、運や偶然性などによって手に入れることを望んでいる様子を表しますよ。また、最終的に手に入れるものはとても程度の高いもので、通常の状態ではそう簡単に実現できない暗示もあるでしょう。通常の目標に達したいという単なる望みや、努力・実力によって目標以上を望んでいる場合には用いられません。したがって「浪人したからあわよくば第一志望に合格したい」は誤用となり、正しくは「浪人したから願わくば第一志望に合格したい」となります。
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