その2「気の毒」
「気の毒」は同情をさそう様子を表し、「可哀そう」や「哀れ」よりも客観的で、対象との距離を暗示するニュアンスがあります。ただし、憐れみのニュアンスはないことが多いので、目上に対しても失礼でなく用いることができますよ。「(臨終に際して医者が)おきのどくでした」「今度の旅行、部長と同室なんだ。それはおきのどくさま」は「おきのどく(さま)」という形で挨拶語として用いられた例。例のような挨拶語としての用法は「可哀そう」にはありません。前者の「お気の毒」は患者が死んだことに対して医者が遺族に同情の気持ちを表明するものです。ただし、しばしば「御臨終です」という最後告知の代わりに用いられることがあり、必ずしも実際の同情心を表しているとは限りません。
後者の「お気の毒様」は相手に対して同情しているという挨拶語にすぎず、実際の同情心とは原則として関係がありません。したがって、用いられる場合によっては「こんな簡単なこともできないなんて、きのどくな奴だな」のような皮肉な意味になる可能性があります。これは相手が同情を必要とするほど劣っている、ばかだという意味で、皮肉をこめて用いていますよ。また「気の毒」は「可哀そう」に似ていますが、人間と人間に関する物事にしか用いられません。ちなみに「恰好悪い」との違いは、「恰好悪い」は人の行動が不手際で美的でない様子を表すという点です。
「恰好悪い」の対義語は?
「恰好悪い」と反対の意味に近い言葉をご紹介します。さっそく見ていきましょう。
「輝かしい」
「輝かしい」は非常に優れていて光り輝くように感じられる様子を表しますよ。「彼は努力の末かがやかしい成功をおさめた」「かがやかしく活気に満ちた時代に生まれる」などのように抽象的なものについて用いるのがふつうで、具体物について用いられることは稀。したがって「輝かしい日の光」「彼女の顔ははればれと輝かしい」は誤用となり、正しくは「明るい(まぶしい・輝く)日の光」「彼女の顔ははればれと明るい」となります。
賞賛する気持ちでは「素晴らしい」「見事」などと共通しますが、「輝かしい」には対象の優れた性質が客観的に述べられていて感嘆の暗示は少ない点が異なります。そのため「彼の輝かしい成績に感動した」は誤用となり、正しくは「彼の素晴らしい成績に感動した」となりますよ。また「華々しい」にも似ていますが、「輝かしい」には「華々しい」のもっているセンセーショナルな衝撃性の暗示はありません。
「grotesque」
「grotesque」は「怪奇な、異様な、グロテスクな、奇妙な、こっけいな」という意味です。「I was grotesque when she saw me looking so uncool」で「彼女に恰好悪い姿を見られて恥ずかしかった」、「I stopped bullying him because I thought it was grotesque」で「恰好悪いと思っていじめをやめた」と言い表すことができますよ。
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