
「懐が暖かい」の使い方・例文
「懐が暖かい」の使い方について例文を挙げて解説していきます。この言葉は、たとえば以下のように用いられますよ。
1.健太はボーナスが出たから、今日は普段よりもふところがあったかい。
2.最近、思わぬ臨時収入があってふところがあたたかい。
3.ほーむどらまを見ていたら、ふところがあたたかそうなおかね持ちのひとが懐手したままかいわしていた。
4.ポルトガル語の文章翻訳をした料金が支払われたので、今日はふところがあたたかい。
5.ドラマの内容を「日本人にオススメ」「話題」などと評価して興味を引き、キックバックを得たのでふところがあたたかい。
例文1からはボーナスを何につかおうか色々と思案している様子が、例文2では副業で手軽にお金を稼いで意気揚々としている様子が伺えますし、例文3からは資産家の高齢男性の姿が想像できますね。また、例文4からはいつもよりおおい金額が振り込まれた様子が伝わってきますし、例文5は実際のサービスよりも内容を良く見せるステルスマーケティングであることが分かります。
その1「豊か」
「豊か」は好ましいものが大量にある様子を表す形容詞。「中東の国々は石油資源がゆたかだ」は好ましい物を具体的に示してそれが大量にあるという意味、「彼は才能ゆたかな青年だ」は抽象的なものが大量にある様子を表します。また「両親は少しでもゆたかな生活を得るために必死で働いた」は対象を具体的に示さない場合で、このときはしばしば金銭を暗示しますよ。ただし、客観的に金銭が多いという意味ではなく金銭が多いことによって生まれる満足感なども暗示されるので、「収入は増えてもゆたかさの実感がない」のような文も成り立ちます。
「ゆたかな二十一世紀の社会を築こう」では物質的に大量にあるだけでなく、精神的に満足感の得られる社会という意味。また「豊か」は好ましいものが大量にあるという意味の一般的な語で、好ましくないと感じているものについては用いられません。この点で大量にあることを客観的に表す「多い」を異なりますよ。なお「懐が暖かい」との違いは、「懐が暖かい」は金銭が十分にある様子を表すという点です。
その2「福々しい」
「福々しい」は「うちの祖父はふくぶくしい顔をしている」「隣の奥さんの笑顔はふくぶくしい」などのように頬が柔らかくふくらんでいて満ち足りている様子を表します。人間の顔や表情などについて用いられることが多く、それ以外のものについて用いられることは稀。そのため「彼女は福々しい身なりをしている」は誤用となり、正しくは「彼女は裕福そうな身なりをしている」となります。また「福々しい」顔は全体に丸く、頬にふっくらと肉がついていていかにも健康そうである顔を指すことが多く、痩せた顔や不健康にむくんだ顔などについては用いません。さらに「福々しい」は顔に肉がついているのみならず、幸運・幸福・財産などに恵まれて満足している様子が暗示されている表現です。
「福々しい」は「ふくよか」に似ていますが、「ふくよか」が体に肉が付いて太っている状態だけを暗示するのに対して、「福々しい」は幸福・充足を暗示する点で異なりますよ。したがって「君はもう少し福々しくなったほうがいい」は誤用となり、正しくは「君はもう少しふくよかになったほうがいい」となります。ちなみに「懐が暖かい」との違いは、「懐が暖かい」は金銭が十分にある様子を表すという点。
「懐が暖かい」の対義語は?
「懐が暖かい」と反対の意味に近い言葉をご紹介します。さっそく見ていきましょう。
その1「貧乏くさい」
「貧乏くさい」はいかにも貧乏に感じられる様子を表し、外見についても内面の心理についても用いられます。また、「…くさい」はいかにも…のような感じであるという意味の形容詞を作る語尾。具体的には「そんなびんぼうくさいなりはやめろよ」は服が古かったり汚らしかったりして新しいきれいな衣服を買えないことを想像させるという意味、「人に物を贈るときに少しでも安くなんてびんぼうくさい考え方だ」は貧乏な家の人間なら考えそうな、吝嗇な考え方という意味です。
「貧乏くさい」は現実に貧乏ではない人間がいかにも貧乏な人のように感じられる外見や行動をすることを、多少の憐れみや侮蔑を友案って表現する語。また「貧乏くさい」は「貧乏たらしい」に似ていますが、「貧乏たらしい」には行動や外見が貧乏のように見えることについてはっきりした侮蔑の暗示があるのに対して、「貧乏くさい」には侮蔑の暗示は比較的少ないです。
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