奈良時代平安時代日本史

平安時代の音楽の教科書?「うつほ物語」について元大学教員が5分で解説

琴(きん)の歴史も分かる「うつほ物語」

古代の日本では、琴というのは弦楽器の総称。琴(きん)、筝(そう)、琵琶などを含んでいました。うつほ物語の「琴」(こと)は中国から伝来した唐琴(からごと)のこと。琴(きん)あるいは筝(そう)の可能性もありますが、和琴は指してはいません。和琴は6弦で琴柱(ことじ)を使うもの。現在はほとんど残っていません。

唐琴は中国から伝来したもの。琴柱を使いわないものが「琴」(きん)、琴柱を使うものが、筝(そう)と呼ばれました。唐琴は、中国の伝統的な楽器であり、琴(きん)は2006年に世界無形遺産に認定されています。

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平安時代に遣唐使が持ち帰った琴(きん)は聖なる楽器としてあがめられていた。琴は7 弦から成り、表は桐の木、裏は楓の木で作られている。ちなみに筝は13弦。現在、日本で「お琴」と言っているのは「筝」のことです。漢字の制限により「筝」という字が使えなくなり、「琴」という漢字を当てたため、混乱と誤解が生じている。

4.「うつほ物語」に書かれた雅楽の決まりごと

image by PIXTA / 22336741

中国の琴と筝はどちらも奈良時代に伝わってきた特別な楽器。楽器が伝来するのと時を同じくして、絢爛豪華な舞衣装も伝わりました。それらが日本のなかでローカライズされて完成していきました。

古代中国では音楽は神の歌

うつほ物語には衣装についても詳細に記されています。たとえば、赤と白の襲ね(かさね)の衣装に冠を付けて舞うのが「春鶯傳」(しゅんのうでん)。天皇が即位するときに舞うのが「太平楽」(たいへいらく)、源氏物語で光源氏と頭中将(とうのちゅうじょう)が舞ったのが「青海波」(せいがいは)。これらは宮中行事を彩る花として欠かせないものでした。

日本伝来前は、音楽や舞には、宇宙、人と自然のかかわり、天上から聞こえてくる神の歌など、神秘的な意味があると考えられていました。しかし日本に入って来ると、音楽も舞楽も行事のあとの宴会向けのものに変化。宴会向けだから全てが自由というわけではなく、いくつかの決まりが残されました。

現在は神聖な決まりごとは消滅

舞台の正面は必ず北向き。天皇は南向きに坐していたため、演奏者や舞人(まいびと)は北向きになるのです。また、舞人が左回りに舞台を一周することを「春・夏・秋・冬」と解釈されました。そのため一曲の舞には、舞台の正面、右、左、後ろ向きの4方向を向いた4人の舞手がいることが前提。このスタイルは今では残っていません。

奈良時代に伝わってきた琴(きん)は7弦で琴柱はありませんでした。このタイプの楽器もいつのまにか日本からは消滅。同じころに伝来した筝が今では琴(こと)ととして残っています。ちなみにうつほ物語で清原俊蔭が仙人から教えてもらったのは「琴」(きん)。演奏することがかなり難しい楽器で、聖人君子しか弾けないと考えられていたものです。

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うつほ物語から、現在は残っていない楽器演奏や演奏のスタイルを知ることができる。そういう意味では音楽の歴史を学ぶことができる古典とも言える。平安時代に書かれたまさに音楽の教科書だ。

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hikosuke