奈良時代平安時代日本史

平安時代の音楽の教科書?「うつほ物語」について元大学教員が5分で解説

前半は琴を手に入れる物語

遣唐使に任命された清原俊蔭は唐に渡る途中に嵐で船が座礁。ペルシャ国に流れ着きます。そこで仙人に出会い、秘伝の琴を教えてもらいました。23年後に帰国するものの官職を辞することに。娘に秘伝の琴の演奏を教え、落ちぶれた清原家の再興を託して亡くなります。

娘は太政大臣の息子である藤原兼雅(かねまさ)との間に子をもうけましたが、実家は没落したまま。貧しさから、森のなかの杉の木の空洞に息子仲忠と暮らしながら秘伝の琴を教えます。この母と子をなんと森のサルが助けるというエピソード付き。最終的に兼雅はふたりと再会、引き取られた仲忠は立派な若者に成人しました。

後半は琴で大成功を収める話

その頃、都では「あて宮」と呼ばれる姫が大評判。求婚者の列ができるほどでした。この求婚物語は、竹取物語に影響を受けているようです。求婚者には、春宮(皇太子)もいましたが脱落、仲忠と涼が宮中で琴の勝負を繰り広げます。しかしながら、あて宮は春宮に入内(じゅだい・結婚すること)。藤壷と呼ばれるようになりました。

そこで仲忠は「女一宮」と結婚。娘の「犬宮」(いぬみや)が生れました。犬宮は帝に見いだされ妃のひとりとなり、仲忠は大納言へ大出世。春宮は新帝に即位し、藤壷の生んだ皇子が春宮になりました。仲忠の願いにより母は秘伝の琴を伝えて犬宮はそれをマスター。邸内に嵯峨院と朱雀院というふたりの上皇を招待し、見事な琴を演奏するまでになりました。

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ここで登場する藤壺という名前に聞き覚えがある人もいるのではないか。紫式部はこの名前を源氏物語のヒロインのひとりに使っている。当時の読者たちは「うつほ物語から引用している」と気が付き、それも含めて楽しんでいたのだろう。

3.「うつほ物語」に流れる音楽の歴史

image by PIXTA / 10045930

古代宮廷の人々は音楽と共に生きていたと言えるほど音楽に密着した生活をしていました。日本古来の歌に加え、中国、朝鮮半島、ベトナム、天竺(インド)など、海の彼方から渡来してきた音楽にも慣れ親しんでいました。それらを雅楽(ががく)と呼び、宮中の行事に取り入れていました。

海を渡って日本へやってきた雅楽

雅楽というのは、日本古来の音楽と平安時代初期までにアジアの諸国から伝来してきた歌舞を統合したもの。9世紀の半ばに、渡来の系統によって左方と右方に整理されました。左方は中国、中央アジア、インドなどから伝わったもので唐樂(とうがく)と呼ばれるもの。唐楽の舞は左舞(さの舞)と呼ばれ、赤系統の衣装をつけて演奏するものです。

右方は朝鮮や満州から渡来したもの。高麗樂(こまがく)、舞は右の舞、衣装は青系統でした。また、日本独自の舞は国風歌舞(くにぶりのうたまい)と呼ばれました。天皇即位の式典では、勇壮華麗な唐楽が演じられるため、貴族たちにとって唐楽の演奏や舞をマスターすることはエリートの必須条件でした。

外来の音楽をもたらしたのは渡来人と遣唐使。うつほ物語の最初の主人公も遣唐使の1人として中国をめざしていました。難破してペルシャにたどりついたことで、琴の秘儀を入手したという筋書きです。当時は羅針盤もなく航海の技術も稚拙なもの。ベトナム、タイ、ペルシャまで漂流することは珍しくはありません。ちなみに浦島太郎の話は難破して異国に流れ着いた人のお話だったと言われているんですよ。

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hikosuke