「勧学院の歩み」の使い方・例文
「勧学院の歩み」の使い方を、例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。
1.平安時代、藤原氏に大慶事があると、勧学院の学生たちは練歩してその邸宅に赴き、祝辞を述べたことを「勧学院の歩み」と言う。
2.勧学院の歩みに関連して、日本の子どもたちの教育について紹介されていた。
3.職場の人間が夫婦になったことで、まるで勧学院の歩みのごとく、祝辞を述べるために一斉に向かって行った。
4.「勧学院の歩み」という単語や用例などを調べるため、図書館に足を運んで辞書や国語辞典、広辞苑を調べた。
それでは、それぞれの例文について、順番に解説していきます。
例文1は、「勧学院の歩み」という言葉自体の意味の説明をした文章表現。例文2は、勧学院がかつて教育機関だったことを踏まえて用いられています。
そして、例文3は、一同合わせて一斉に祝辞を言いに行く様子として使われた文章。例文4は、勧学院の歩みという言葉を調べる目的という文章で使われています。
「勧学院の歩み」の類義語は?違いは?
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次に、「勧学院の歩み」について、類義語を確認します。
「勧学院」が、平安時代に藤原氏が創設した教育機関という固有名詞であり、その後、大寺院の教育機関としてもその名称が使われたものの、それ以上のことはないため、「勧学院の歩み」についてもはっきりとした類義語はありません。
ただ、勧学院に関連し、「勧学院の雀は蒙求を囀る」ということわざがあり、これについて、次に解説します。
「勧学院の雀は蒙求を囀る」
勧学院が入ったことわざに「勧学院の雀は蒙求を囀る」があります。
「勧学院の雀は蒙求を囀る」の読み方は、「かんがくいんのすずめはもうぎゅうをさえずる」です。勧学院の軒端の雀(すずめ)は、学生が「蒙求」を読むのを聞き習い、それをさえずるという意味。
つまり、常に見たり聞き慣れたりしていると、自然に覚えるというたとえ(ことわざ)となります。同義語として「勧学院の雀」や「門前の小僧習わぬ経を読む」など。
ちなみに、「蒙求」(もうぎゅう)は、伝統的な中国の初学者向け教科書で、日本でも平安時代以来、長期にわたって使用されました。
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