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【慣用句】「勧学院の歩み」の意味や使い方は?例文や類語を元新聞記者がわかりやすく解説!

よお、ドラゴン桜の桜木建二だ。この記事では「勧学院の歩み」について解説する。

端的に言えば、勧学院の歩みの意味は「平安時代、慶事に学生一同が整列して練り歩いたこと」だが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

元新聞記者で、ライター歴20年のトラコを呼んだ。一緒に「勧学院の歩み」の意味や例文、類語などを見ていくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/トラコ

全国紙の記者を7年。その後、雑誌や書籍、Webでフリーの記者などとして活動中。文字の正確さ、使い方に対するこだわりは強い。

「勧学院の歩み」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速、「勧学院の歩み」の意味や語源・使い方を、見ていきましょう。

「勧学院の歩み」の意味は?

「勧学院の歩み」は、慣用句・ことわざに分類される用語・熟語です。次のような意味があります。

平安時代、藤原氏の氏の長者の家に慶事があったとき、勧学院の学生一同が整列し、練り歩いて、慶賀に赴いたこと。

出典:デジタル大辞泉(小学館)「勧学院(かんがくいん)の歩み」

「勧学院の歩み」の読み方は、かんがくいんのあゆみ。この言葉の意味は、平安時代に遡ります。

平安時代に栄華を極めた藤原氏一族。その藤原氏の長者の家に慶事があった際、勧学院の学生が一同に整列して練り歩き、慶事に赴いたことを「勧学院の歩み」と言いました。

勧学院とは、どんな施設だったのか。これについては、次に解説します。

「勧学院の歩み」の語源は?

次に、「勧学院」の語源を確認しておきましょう。

勧学院とは、平安時代にあった大学別曹(だいがくべっそう)の1つ。藤原氏の子弟を教育するため、弘仁12年(821)、藤原冬嗣が創立した教育施設です。大学別曹は、大学寮の付属機関(公認寄宿施設)でした。

そして、藤原冬嗣は、平安初期の公卿であり、嵯峨天皇の信任を得て蔵人所(くろうどどころ)を設置して蔵人頭となって以後、要職を歴任し、勧学院を設けた人物です。

平安時代以降、延暦寺や東大寺などの大きな寺院に設けられた僧侶の教育機関も、勧学院と言われました。

\次のページで「「勧学院の歩み」の使い方・例文」を解説!/

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