昭和現代社会

私たちの生活を彩る「大衆文化」の歴史と未来について元大学教員が3分でわかりやすく解説

購買意欲を刺激するための文化が生まれる

デパートやモールでは、工場で大量生産された商品がたくさん並びます。それをどれだけ大衆すなわち消費者に買ってもらうのかが、売る側のミッション。大衆の購買意欲を刺激するイルミネーションや広告が、都市部を彩るようになりました。

大衆に向けた宣伝ポスターが発達したのも19世紀末。ポスターの登場人物は普通の家族やカップル。大衆が広告デザインの主役となりました。夜になると都会はキラキラと輝きを放ちます。ホールでは着飾った男女がダンスに興じるようになりました。

日本にもデパート文化が輸出

日本では明治時代になると、文明開化の波を受けて、西欧の影響を受けた文化が一気に花開きます。そのひとつがデパート。明治38年の元旦に、江戸時代に起源がある銀座の三越呉服店が、呉服にとどまらずいろいろな品物を売る路線転換を宣言。デパートメントストアとなる旨の広告を新聞に掲載しました。

それを皮切りに、三越とならぶ老舗の呉服店だった高島屋、松坂屋、大丸なども次々とお店をデパートメント化。西欧の文化を取り入れた最新のファッションやメイク方法などが発信されます。銀座や上野にはカツレツやコロッケが食べられる洋食屋が登場。江戸時代とは異なるライフスタイルが、大衆に浸透していきました。

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明治時代にデパートが開店したとき、新しいものに興味を持つ群衆が殺到したそうだ。そんな人々を対象に、デパートの店員は購入を促す仕掛けをさまざまに作った。それにより大衆文化の土壌となる情報が拡散していったのだろう。

マスメディアの発達で巨大化する大衆文化

image by PIXTA / 16656058

同時にたくさんの人々に発信するマスメディアは大衆文化を形成する力となります。その源泉となるメディアが生れたのが19世紀末。さまざまな種類のメディアが今も私たちを楽しませてくれます。そのうちの一部を紹介しましょう。

映画は文化の大衆化を一気にすすめた

映画を鑑賞する文化が生まれたのは19世紀末のヨーロッパやアメリカ。全国の映画館で上映されることで、たくさんの人々は一気に同じ価値観やライフスタイルに触れることが可能となりました。映画を通じて、最新のファッション、電話、汽車、車、食事などが、大衆の生活に広がっていきました。

日本では、時代劇や現代劇のほか、アメリカから輸入された作品も大人気となります。とくに大衆に広く支持されたのが、アメリカの西部開拓時代を舞台とする西部劇。アメリカのフロンティア精神や建国の精神など、他の国の価値観が日本の大衆にとって身近なものとなります。西部劇スターを通じて、デニムやカウボーイハットなどのウェスタンスタイルも浸透しました。

テレビは日本の大衆文化にも影響

20世紀最大の発明とされるテレビの放送が開始されたのは1930年代。日本では戦後の1950年代になって本格的にテレビ放送が開始されました。一家に一台のテレビを持つことが日本家庭の目標。記録映画や大相撲、プロレス、プロ野球などのスポーツ中継に始まり、アメリカを中心に海外の映画やドラマが放映されるようになりました。

日本の大衆文化に大きな影響を与えた海外ドラマのひとつが「奥様は魔女」。ドラマに登場する冷蔵庫、オーブン、トースターのような家電、車やバイクなどの乗りもの、パンやスパゲッティを食べるなど、西欧のライフスタイルが日本家庭に浸透するきっかけとなりました。

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テレビの時代は日本国民全体が同じものを観て、同じもの熱狂した。しかし今日はYouTubeの時代。それぞれ好きなものを好きなタイミングで楽しむ。ある意味、大衆文化が形成されにくくなったのかもしれない。

\次のページで「日本独自の大衆文化の発達」を解説!/

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