

大衆文化はどのような過程を経て発展したのか、日本と世界の大衆文化の普及について、現代社会に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。
- 大衆文化とは何?
- ハイカルチャーの逆にある文化
- ハイカルチャーを担っていたのは?
- 大衆文化はいつから生まれた?
- ハイカルチャーからポピュラーカルチャーへ
- 大衆文化が生れた背景は労働の機械化
- 大衆文化に影響を与えた複製技術とは?
- 複製技術について論じたヴァルター ・ベンヤミン
- 大衆文化のキーワードとなるアウラ
- ショッピングも大衆文化のひとつ
- 購買意欲を刺激するための文化が生まれる
- 日本にもデパート文化が輸出
- マスメディアの発達で巨大化する大衆文化
- 映画は文化の大衆化を一気にすすめた
- テレビは日本の大衆文化にも影響
- 日本独自の大衆文化の発達
- 演歌は古き日本人の心を歌う大衆文化
- マンガやアニメは世界に影響を与える
- インターネット時代の大衆文化の行方は?
この記事の目次

解説/桜木建二
「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/ひこすけ
アメリカの文化や歴史を専門とする元大学教員。昔の映画やドラマについて調べることを得意とする。そこで大衆文化の発達について歴史的な視点から解説する。
ハイカルチャーの逆にある文化
歴史的に文化というと、学問、文化、美術、音楽などの芸術のことを指していました。これらを発信する、あるいは享受できる人はほんの一部。社会の上位に位置する富裕層や特権階級、知識人、教養人などブルジョワ階級に限定されてきました。これらは、高尚な芸術という意味でハイカルチャーと呼ばれます。
ハイカルチャーに該当する文化は世界各国に存在。日本であれば公家または武家のような支配階級が享受していた文化がそれに該当します。たとえば、紫式部の「源氏物語」はハイカルチャーのひとつ。平安時代に広く読まれていますが、言語を読めない一般庶民はそれを享受する対象とはないからです。
ハイカルチャーを担っていたのは?
ヨーロッパを例にすると、ハイカルチャーを担ってきたのは主にエリートの男性。絵画であれば、画家は男性、モデルは女性、鑑賞者は男性という図式が一般的です。ハイカルチャーを持つ集団は、自分たちの文化がもっとも高級であると考え、下層階級の人々はその意味を理解できないと考えていました。
ハイカルチャーを支えていたのはパトロン。もともとは貴族や王族がその役割を担っていましたが、財をなした商人がパトロンとなることもありました。芸術家や知識人は、パトロンによる経済的サポートを受けながら創作活動をおこなっていました。

よくポピュラーカルチャーとハイカルチャーが対比されるが、それは階級の対立と考えることもできる。一般の人々も文化を継承していたが、それを発信する機会を持たなかった。そのため存在しないものとされてきたに過ぎない。
大衆文化はいつから生まれた?

ハイカルチャーが中心だった社会で、大衆文化はまったく存在していないように思われがちですが、実はそうではありません。農民などの一般の人々のあいだでは、独自の文化や風習が継承されていました。
ハイカルチャーからポピュラーカルチャーへ
農民や漁民などの人々のあいだでは、ささやかながらも豊作祈願のお祭りや行事などの文化が継承されていました。それらは、限られた集団の中でのみ享受されており、社会に対する影響力はありませんでした。それが19世紀末になると、写真、蓄音機、映画が登場。無数の人々が一気に享受する文化の土壌となります。
大衆が力をつけてきた理由のひとつが経済効果。19世紀末から金銭的・時間的余裕からある程度の余暇を楽しめる中産階級が出現します。19世紀末から20世紀初頭にかけて、そんな人々をターゲットとする映画が大躍進。資本主義の拡大も後押しして大衆は経済を動かす重要な存在となるのです。
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