
1.先日ライバル企業が海外進出を断念したが、「明日は我が身」と思って我が社も慎重に検討しよう。
2.彼は交通事故に遭ったらしいが、「明日は我が身」だ。僕も注意しなくては。
3.あなたは彼を笑っているけれど、「明日は我が身」よ。あなたが同じように失敗しない保証なんてないわ。
「明日は我が身」には基本的に「だ/である」がつながります。続いて、「思う/考えられる/感じる」も頻繁に連なる言葉です。
多くの場合、文脈のどこかに「明日は我が身」として警戒しなければいけない、トラブルの内容が説明されます。何も起こっていない状況下では「明日は我が身」という言葉はまず出てきません。また、不幸な目に遭った相手がどこかにいることの説明もどこかに織り込まれます。もしも「明日は我が身だ。」という一言しかなかったとしても、前後の文章や映像、音などで何がしかのトラブルが示唆されるものです。
「明日は我が身」は使用方法に注意

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「明日は我が身」は、実際の所かなり使用を慎重にすべき言葉です。もちろんその場の雰囲気や、空気が悪くなることを踏まえてあえて言わなければいけないときもありますが、それでも使用には注意を払いましょう。
「明日は我が身」は不幸に関する言葉である反面、幸運に対しては使用しません。そして不幸が起こった時は誰しも言葉に気をつける必要があります。つまり「明日は我が身」とは、皆が言葉に慎重にならなければいけない時に、出番がしぼられている言葉なのです。
「明日は我が身」を面と向かって言うのは失礼?
はっきり言って、「明日は我が身」を不幸な目に遭った人の目の前で言うのは、かなりリスキーと言わざるを得ません。もちろん、気にしない人もいないわけではないでしょう。しかし、基本的には失礼と取られても仕方が無いと思っておくべきです。
「明日は我が身」とはいつ不幸がやってくるかわからないという意味ですが、言い換えるとまだ不幸にはなっていないということ。つまりトラブルにあった人の前で「明日は我が身」と発言するのは、不幸な人の前で私は幸せと口に出してアピールをするようなものといえます。
「明日は我が身」は本人の前で言わないこと
「明日は我が身」は、トラブルに遭った人がいない状態で発言するのがベターです。たとえば、ニュースで不幸な事故が起こったという知らせを受け取った時は、被害者本人に聞こえるわけではないため、口に出してもかまわないでしょう。また、知り合いの話であったとしても、本人がその場にいないことが確実であれば使えます。
他にも、競合他社の倒産などを自社へのニュースとして発信する時など、不特定多数から不特定多数へと発信する際も使いやすいでしょう。また、発言をそもそも控えるということも大切なことです。心の中で思ったことは、必ず言わなければいけないという決まりはありません。
「明日は我が身」は謙虚な言葉か?
「明日は我が身」は、しばしばいましめの言葉とみなされます。人のトラブルを見て「自分には絶対に起こらないだろう」と慢心するのではなく、「自分の身にも降りかかるかもしれない」と考え、我が身を振り返る言葉と考えられるためです。これはある意味では正しく、慎重になることをうながすという意味では、決して悪いことではないでしょう。
しかし、それはそれとして人前で「明日は我が身」を使う際は注意が必要です。たとえ謙虚な言葉と取れたとしても、それが言葉のイメージのすべてではありません。重々注意しましょう。
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