「完膚なきまで」の使い方・例文
「完膚なきまで」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。
1.カラーコンタクトを注意されたその生徒は「個性の尊重」という最近の社会の風潮を武器に先生に反論したが、完膚なきまで論破され、説教された。
2.平常心で試験に臨み、手ごたえがあったので「これで国家資格を手に入れた。無事に就職できる」と思っていたが結果は不合格で、私は完膚なきまでに打ちのめされた。
3.世間では「今回はチャンピオンの圧勝だろう」と言われていたが、実際には挑戦者が完膚なきまでにチャンピオンを打ち負かした。ボクシングの試合は終わってみなければわからないものだ。
「校則」をめぐって先生と生徒が論争するのは昔も今も変わりません。先生を完膚なきまで論破するのはかなり難しいこと。それよりも「校則という制限の中でいかに個性を光らせることができるか」を考えてみるのはどうでしょう。
「合格したと確信していたのに「不合格」。これは完膚なきまでに打ちのめされてしまいますね。我が家の次男の大学受験がこの状態でした。付き添って行った夫の話によると…受験を終えて入試会場から出て来た次男は自信満々。そのまま部屋探しに行ったそうです。ところが結果は不合格。かなり落ち込んだ次男はその後、学生マンションではなく予備校の寮へ。しかし、完膚なきまで打ちのめされた次男もここで「世の中は甘くない」ということを痛感し、「先々までしっかり考えるようになった」といいます。
スポーツの試合に於いて、番狂わせは珍しいことではありません。挑戦者は並々ならぬ努力をしてきたはずですよね。それに対してチャンピオンはどこかに油断があったのかもしれません。「完膚なきまで打ちのめされた」は日常生活でよく用いられる表現です。
「とことん」
「完膚なきまで」に続く言葉を考えてみましょう。「完膚なきまで打ちのめす」「ー叩き潰す」「ー論破する」…相手をねじ伏せる単語が続きますね。それに対して「とことん」はどうでしょうか。「とことん褒める」「とことん話し合う」「とことん頑張る」…「完膚なきまで」という表現よりも広い範囲で用いられていることがわかります。
「完膚なきまで」と「とことん」は共に「徹底的に」という意味合いを表現する言葉ですが、このような違いがあるのです。
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