「目(め)くはす」は「目配せをする」「目つきで知らせる」という意味で、源氏物語でも使われているのがわかります。「めくはす」と「めくはせ(めくわせ)」は、江戸時代には「めくばす」「めくばせ」に変化していきました。元は、まばたきするとき上下のまぶたを合わせることを「目食わせ」といっていたのが、のちに「めくばせ」と発音するようになり、「配」の字があてられたのです。
意味も成り立ちも違う「目配せ」と「目配り」
「目配せ」と「目配り」は一字しか違いがありませんが、意味はどのように異なるのでしょうか。「目配り」の「目」には「見ること」「注意力」「洞察力」という意味があり、「配る」には「あちらこちらへと行き渡らせる」という意味があります。
「目配り」は「目を配ること」、つまり「いろいろなところに注意を行き届かせる」ことを表現していますよ。「目配せ」とは、意味も成り立ちも違っていることがお分かりいただけたでしょうか。
「目配せ」の使い方
例文で「目配せ」の使い方を見ていきましょう。
1.授業中、ノートの端にパラパラ漫画を描いていたら、ヤマダ君が目配せしてきた。ふと後ろを見たら先生が立っていた。
2.会議中、議長役のスズキさんが目配せしてきた。誰も意見を出さないので口火を切れということらしい。
最初の例文は、授業中にほかごとをしていたら先生が背後にいて、ヤマダ君がそれを目で合図して教えてくれたという意味です。2番目の例文は、会議で議論が活発にならないので、議長のスズキさんが意見を言ってほしいと目で伝えてきたという意味ですね。目配せは、言葉を使って伝えられないときに意志や気持ちを伝える手段ですよ。
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