
その2「恋は思案の外」
「恋は思案の外」は「こいはしあんのほか」と読むことわざです。ここで用いられている「外」は「そと」ではなく「ほか」と読むので注意をしてください。男女の恋や愛情は理性では律しきれないので、そのなりゆきは常識では測ることができないという意味を持ちます。「恋は盲目」は恋することで理性を欠いた状態になること、「恋は思案の外」は律しきれなくなることでその後の展開を想像することができなくなるという違いがあるのです。
その3「惚れてしまえば千里も一里」
「惚れてしまえば千里も一里」は「ほれてしまえばせんりもいちり」と読むことわざです。「千里」と「一里」は、それぞれ距離を表し、「一里」は約3.9km、「千里」はなんとその1000倍の39000kmを意味しています。このことから、惚れた相手の所へ通う時は、どんなに遠い道も近く感じるという意味を持つのです。
「恋は盲目」の対義語は?違いは?

「恋は盲目」の明確な対義語はありません。しかし、しいて「恋は常識や理性を失わせてしまう」の反対の意味を考えるなら、「愛は小出しにせよ」が考えられます。このことわざは、人を愛するときは少しずつ長く続けることが良いという意味を持つので、理性を欠くほど激しく恋をする「恋は盲目」とは反対の意味として捉えることができるのではないでしょうか。
「恋は盲目」を使いこなそう
この記事では「恋は盲目」の意味・使い方・類語などを説明しました。
「恋は盲目」は、恋することで相手を美化して悪いところに目がいかなくなったり、普段は起こさない異常な行動をとってしまうなど、常識や理性を失わせてしまうという意味のことわざです。
このことわざは、性別に関係なく男女両方が対象になります。また、片思いだけでなく両想いの場合にも使えるなど、用途は幅広いです。
「痘痕も靨」「恋は思案の外」「惚れて通えば千里も一里」などの類義語を紹介しましたが、他にも似た意味を持つ言葉はたくさんあるので意味の違いをよく把握しておきましょう。
「恋は盲目」は、一般的に望ましくない状態のことを表す言葉ですが、それもまた恋愛の醍醐味であるともいえます。一生に一度は、周りが見えなくなるほどの刺激的な恋愛をしてみたいものですね。