
「恋は盲目」の使い方・例文
「恋は盲目」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。
1.いくら振られても彼を想う気持ちを抑えることができず、いつか両思いになると信じて毎日何回もメッセージを送ってしまう。
2.恋は盲目だったようで、付き合ったばかりの頃は魅力的に見えていた彼が、別れた今では欠点ばかり目についてしまう。
3.彼は新入社員の女性に惚れてしまったようで、ソワソワして仕事に身が入っていない。恋は盲目とはまさにこのことだ。
ここでは3つの例文を挙げました。ひとつひとつ意味を確認していきましょう。
1は、相手に自分への気持ちが無いことを理解しているのにも関わらず、なおも必要以上にアプローチをとってしまうことを表す例文です。普通の状態であれば、片思い・両思いに関係なく何度もメッセージを送るのは異常であると理解することができます。しかし、理性をコントロールすることができない「恋は盲目」の状態だと、常識では考えられない行動を取ってしまうことがあるのです。
2は、惚れているときは相手の良い所ばかりが目に付くが、気持ちが覚めることでようやくその欠点に気づいたことを表しています。あまりにも熱烈に恋をすると相手の欠点をつい美化してしまうもので、長続きはしません。相手の欠点を冷静に理解した上で、それを含めて愛していると言える恋愛ができるとよいですね。
3は、惚れた彼女のことばかり考えてしまい、本来取り組むべき仕事に向き合うことができていないという様子を表しています。このように、誰かに恋をしてそのことばかりを考えてしまうあまり、他のことに頭が回らない場合にも「恋は盲目」は使われるので覚えておきましょう。
その1「痘痕も靨」
「痘痕も靨」は「あばたもえくぼ」と読観ます。「痘痕」とは天然痘という皮膚病が治った後にできるくぼみのようなもののことで、「靨」とは笑った時に口の横にできるくぼみのことを指しているのです。本来であれば、同じくぼみでも「痘痕」は醜悪で醜いというマイナスなイメージが強く、「靨」はチャーミングな印象を与えるポジティブなものとして考えられています。しかし、相手に惚れることで「痘痕」のような欠点まで、まるで「靨」のように好ましく見えるというのがこのことわざの意味なのです。
相手の欠点まで美化するという点では「恋は盲目」と意味が似ています。しかし、「恋は盲目」は周囲が見えなくなり、異常な行動を取ってしまうケースのことを指すなど、「痘痕も靨」よりも広い意味で使われるところに違いがあるのです。
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