「若気の至り」の成り立ちは?
「若気の至り」は慣用句であり、「若気」と「至る」で分けることができます。「若気」は単語として「若い人の無分別な傾向」という意味を持つ言葉です。あくまで「傾向」の話をしており、実際にはまだ無分別な行動を起こしているわけではありません。
一方、「若気の至り」の「至り」とは「至る」という言葉が変化したものです。「至る」とは到達するという意味があり、「若気の至り」と並べることで、「若者の無分別な傾向がついに実際の行動に至った」という意味になります。
「若気の至り」の使い方
「若気の至り」は以下のように使用します。
1.若い人がアウトローに憧れるのも仕方がない。「若気の至り」というやつだ。
2.就職する会社のチョイスミスをしたことを、彼は「若気の至り」だと後悔しているらしい。
3.「若気の至り」で勢いのままに家を飛び出したこともある。
「若気の至り」は主に現象の名前として扱われることが多いです。「若気の至り」が原因である、という文脈で使用され、「だ/である/のせいで」などの言葉が続くケースが多く見受けられます。内容としては「若気の至り」で行ったことを自己反省しているという文章も頻出しますが、1番の例文のように第三者が「若気の至りだ」と誰かを評する際に使用することも少なくありません。
「若気の至り」を具体的に知ろう
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「若気の至り」とは概念の名前であり、具体的な物質ではないため、どれが「若気の至り」に当てはまるのかの定義づけはできません。「若気の至り」をスムーズに使えるようになるためには、「若気の至り」のさまざまな側面を知る必要があります。
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