平安時代日本史

平安時代に日本とインドをつないだ「今昔物語集」について元大学教員が5分で解説

平安時代に実在した人物や地名が出てくる話も

今昔物語には、「平の将門の謀反の話」「藤原純友が海賊に切り殺された話」「清少納言の夫橘則光が盗賊を退治した話」「大納言藤原公任が屏風絵を描いた話」など平安時代の有名人のエピソードもたくさん収録。これが、今昔物語が成立した時代が平安時代中期以降であるとする根拠でもあります。

地名の由来にかかわる話も多数。長野市に冠木山(かむらきやま)と呼ばれる山があり、かつて姨捨山呼ばれていました。母親を山に捨てる風習があったことが姥捨て山の由来。この由来を書いているのが今昔物語です。枕草子や更級日記にも姨捨に関しては記されており、その内容はさまざま。今昔物語は各地に散らばっていた姨捨伝説のひとつを取り上げたものかも知れません。

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芥川龍之介の「鼻」は、人間は他人の不幸を笑い、幸福をねたむものという人間の心理を描いた作品。「羅生門」は、極限の状態で生き抜こうとする人間の心理を描いている。どちらも今も共感できる内容。つまり今昔物語は今を生きるものに、たくさんの教訓を与えてくれるというわけだ。

4.今昔物語が伝えられる経緯とは?

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今昔物語が現代に伝えられた経緯はとても不思議なもの。採取されている説話のなかで、実際の事件や人物が登場しているものを精査した結果、成立時期は1120年から1449年の間であろうことは定説になっています。しかしながら、今昔物語は長いあいだ表舞台に現われることはなし。その存在が世に知られるようになったのは、なんと15世紀の半ばごろでした。

私たちが読んでいる今昔物語は「鈴鹿本」

現在、私たちが目にしている今昔物語はすべて鈴鹿本と呼ばれるものの写本。鈴鹿本というのは、京都吉田神社の神官である鈴鹿家に伝えられていた冊子のことです。大正9年に鈴鹿家の鈴鹿三七が所有していた「異本今昔物語抄」という小冊子が世に知られ、それが「鈴鹿本」と呼ばれるようになりました。

1996年6月27日に鈴鹿本は国宝に指定。現在は、訳文付きの全文カラー映像がインターネット公開されています。デジタル化された全文から感じ取れるのは、1000年以上まえの人々の暮らしや考えかた。また、病への恐怖、天災への絶望や無力感なども生き生きと迫ってきます。

「鈴鹿本」以前の今昔物語の謎

今昔物語に収録されている説話は「宇治拾遺物語」「古本説話集」「宇治大納言物語」にも収録されています。「宇治拾遺物語」「古本説話集」のなかの説話には、一言一句が今昔物語と同じものも存在。なお、「宇治大納言物語」は散逸してしまい、現在まで伝えられていません。

「宇治大納言物語」が消えてしまったのは、応仁の乱のころと言われています。奇しくも「宇治大納言物語」が消えたころ、今昔物語の存在が資料にあらわれました。ここから、「宇治大納言物語」が「宇治拾遺物語」や「古本説話集」と合体し、何らかの理由で「今昔物語」と名を変えたという見方もありますが、真相は今でも不明です。

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つまり本物の今昔物語は存在しないということ。これだけ魅力的な内容であるにもかかわらず、いつだれがどこで編纂したのか分からない、ミステリアスな古典だ。もしかしたら将来、今昔物語の謎が解き明かされる日が来るかもしれない。それは歴史の教科書が一気に書き換えられるときだ。

5.現代でも生きている今昔物語

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今昔物語は現代の作家やマンガにも大きな影響を与え、さまざまな形で応用されています。そんな小説やマンガが映画化されたりテレビ化されたりしてきました。つまり、私たちは知らず知らずのうちに今昔物語を読んでいるのです。

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hikosuke