日本史江戸時代

5分でわかる「徳川将軍家」武家社会の頂点に君臨した十五人の将軍を歴史オタクがわかりやすく解説

よぉ、桜木健二だ。「徳川将軍家」は江戸時代の日本を実質的に支配した将軍の一族だ。大河ドラマや時代劇でお馴染みだろう?徳川将軍家は十五代、265年間に渡って君臨し続けたんだ。今回は歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒にその「徳川将軍家」についてわかりやすく解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/リリー・リリコ

興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は義経をテーマに執筆。大河ドラマや時代物が好き。特に江戸時代は時代劇でお馴染み設定だ。武家社会の頂点に君臨し続けた「徳川将軍家」をさらに詳しくまとめた。

1.徳川将軍家と初代将軍「徳川家康」

image by PIXTA / 68754427

今回は徳川家について解説をしていきます。

1600年 天下を分ける「関ケ原の戦い」

戦国時代の末、関白「豊臣秀吉」の死によって政権争いが起こり、対立が発生します。そうして、1600年の「関ケ原の戦い」へと発展していきました。

「関ケ原の戦い」では豊臣家方の石田三成率いる西軍と、徳川家康率いる東軍が激突。戦いは最初、西軍が有利なように思えました。しかし、有力武将が最初から東軍側に味方していたり、西軍の武将が離反したり、トドメに小早川秀秋の裏切りにあった結果、「関ケ原の戦い」はたった一日で東軍の勝利となったのです。

「関ヶ原の戦い」を制した徳川家康は、1603年に征夷大将軍に就任。自領の江戸に「江戸幕府」を開いたのです。以降、15代目の徳川慶喜が1867年に大政奉還を行うまで「徳川将軍家」が武家社会の頂点であり、日本の実質的な支配者となったのでした。

「幕藩体制」で大名の再配置

征夷大将軍となった徳川家康ですが、なんと二年後には息子・徳川秀忠に将軍職を譲ってしまいます。

将軍でなくなったあと、徳川家康はどうしたか?

彼は大人しく隠居なんてしません。家康は大御所となって政治の実権を握っていたのです。それに、何も考えず早々に息子に将軍職を譲ったわけではありません。息子に将軍の座を継がせることで、原則として徳川将軍家の長男が将軍職を世襲するという決まりを作ったのです。(秀忠は三男でしたが、家康の長男は早世、次男は養子に出しているため秀忠が将軍となりました)

その状況下で、徳川家康は各地の大名の再配置を行います。それが「幕藩体制」です。

「幕藩体制」により、徳川家の親戚筋にあたる大名を「親藩」として江戸の近くに、関ヶ原の戦い以前から徳川家に味方していた大名を「譜代大名」として重要な土地へ配置。さらに関ヶ原の戦いのあとに徳川家に従うことになった大名たちは「外様大名」と呼ばれ、江戸から遠い土地に配置したのです。

また、幕府は一万石以上の石高をもつ武士を「大名」とし、その武士が治める領地を「藩」といいました。

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