ヨーロッパの歴史ローマ帝国世界史

5分でわかる「ミラノ勅令」キリスト教公迫害からなぜ認歴へ?歴史オタクがわかりやすく解説

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迫害の憂き目にあったキリスト教だったが、コンスタンティヌス帝の登場によってようやくつらい歴史が終わったわけだな。このとき発布された「ミラノ勅令」で「キリスト教はローマ帝国で公認された」んだ。まだ「国教化したわけじゃない」からな。そこだけは気を付けてくれ。

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3.皇帝ナポレオンともうひとつの「ミラノ勅令」

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ローマ帝国から時代は下って19世紀のこと。フランス帝国にも「ミラノ勅令」と同じ名前のものが発布されます。ただし、こちらはキリスト教とは無関係。フランスの初代皇帝ナポレオン1世(ナポレオン・ボナパルト)がとったベルリン勅令に続く対イギリス経済封鎖政策です。

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初代フランス皇帝ナポレオン

ナポレオンと言えば、ダヴィッドの描いた馬に跨って片手を上げる絵画が有名ですね。彼はもともと地中海に浮かぶコルシカ島の小さな貴族の家に生まれました。しかし、家の乏しい権力や財力をものともせず、成人したナポレオンは軍人となり、軍の中でナポレオンは司令官として素晴らしい手腕を発揮し、国内軍事司令官などの役職につきます。

さらに若き英雄ナポレオンはイタリア遠征、エジプト遠征を重ねたあと、弱っていた当時の総裁政府に対して1799年に「ブリュメール18日のクーデター」を起こし、総裁政府を打倒。ナポレオンは年内にフランス革命の終結を宣言し、統領政府を発足。彼自身は第一統領となって、事実上の独裁権力を得たのです。

その後、ナポレオンは国民投票によってフランスの皇帝に即位。フランス第一帝政が開始されたのでした。

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ヨーロッパ征服開始「ナポレオン戦争」

1796年、ナポレオン戦争が始まった当初は、フランス革命に対する諸外国からの干渉を防ぐ防衛戦争でした。しかし、防衛戦争のなかでナポレオンはめきめきと実力を発揮。やがて防衛戦争は侵略戦争へと変貌していきました。そうして、ヨーロッパのほぼすべての国家が関与する「ナポレオン戦争」となったのです。

特にナポレオンのフランスと対立したのが、ドーバー海峡の向こうのイギリスでした。ナポレオンは敵対するイギリスに打撃を与えるため、1806年に「ベルリン勅令」、翌1807年に「ミラノ勅令」を発布します。この両政策は、ナポレオンの征服した地域とイギリス、およびイギリスの植民地での貿易を禁止するものでした。これによってヨーロッパの市場からイギリスを締め出し、イギリスに経済的打撃を与えようとしたのです。「ベルリン勅令」と「ミラノ勅令」をまとめて「大陸封鎖」といいます。

しかし、大陸封鎖はナポレオンが考えていたような成果は上げられず、ナポレオンの没落するきっかけとなったロシア遠征の失敗とともに崩壊したのでした。

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同じ名前だがまったく内容の違うナポレオンが発布した「ミラノ勅令」。こちらは対立していたイギリスに対する経済政策だな。たいていは「ミラノ勅令」よりもベルリン勅令とまとめて「大陸封鎖」と呼ぶほうが多いぞ。

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「ミラノ勅令」は当時のキリスト教徒たちの光

ローマの皇帝たちによって大迫害の憂き目にあっていたキリスト教。その不運な境遇を一転させたのがコンスタンティヌス帝の発布した「ミラノ勅令」でした。「ミラノ勅令」ではキリスト教を含め、すべての宗教を自由に信仰できると認められたのです。これまでの迫害で没収されていた土地や財産はキリスト教会や信徒たちへと返還され、ようやく平和に信仰を続けられる明るい時代がはじまったのでした。

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