

当時、ヨーロッパ一帯を支配したローマ帝国が、ついにエルサレムまで支配圏に収めた。ローマは他宗教に寛容だったが、イエスがローマの脅威になると判断して処刑してしまう。その後は、宗教観の違いからユダヤ人と戦争が起こり、エルサレムはひどく荒廃してしまったんだ。
3.イスラムの世界進出

サウジアラビアのメッカに商人の息子として生まれたムハンマド(マホメット)。彼が40歳のころに瞑想を行っている最中に天使ガブリエルが現れ、神の啓示を受けたことからイスラム教を創始したとされています。
イスラム教の預言者ムハンマドの昇天
エルサレムがイスラム教の聖地とされるのは、619年にムハンマドが天使ガブリエルにともなわれてエルサレムの神殿の上の岩から天馬に乗って昇天したという逸話から。このことから、エルサレムはメッカ、メディナに次ぐイスラム教の聖地となりました。
イスラム教団のエルサレム進出

ムハンマドの昇天後、イスラム教団を引き継いだ第2代カリフ・ウマル(オマル)は、ビザンツ帝国と戦いエルサレムを征服しました。ウマルは荒廃したエルサレムで、ムハンマドが立った岩を探し当て、のちにその場所には「岩のドーム」が建てられます。岩のドームの完成は638年。イスラム世界最古の建造物とされています。
また、この岩のドームが建つ場所、ここはヘブライ王国時代に建てられたヤハウェ神殿と同じ場所だったのです。そのため、先述した「嘆きの壁」はこの岩のドームの南西に位置します。
ユダヤ教とキリスト教とイスラム教が共存する都市
メッカに生まれたムハンマドが創始したイスラム教ですが、イスラム教もまたユダヤ教やキリスト教と同じ一神教で、このふたつに影響を受けた宗教でした。違いはあれど、ウマルはユダヤ教もキリスト教も神の啓示を同じく唯一神から受けた「啓典の民」として保護したのです。
また、コンスタンティヌス帝が建てた聖墳墓教会などが認められたことで、エルサレムは三つの宗教が共存する都市となったのでした。
キリスト教徒イスラム教との対立
異なった宗教が共存する都市となったエルサレム。しかし、それも永遠ではありませんでした。
トルコ人のイスラム政権となったセルジューク朝が台頭、エルサレム方面へ進出してキリスト教徒の巡礼を阻害するようになります。それに対しビザンツ帝国と戦争になるのですが、ビザンツ帝国はあえなく敗退。
聖地巡礼を妨害されては、ビザンツ帝国以外の信徒たちも黙ってはいられません。ビザンツ帝国皇帝がローマ教皇に要請を出し、聖地回復を掲げる「十字軍運動」が始まったのです。十字軍が活動したのは、11世紀から13世紀にかけての二百年。正式なものは全七回に及びました。
十字軍とイスラム系国家の戦いは互いに勝者を変えながら二百年続き、最終的に1291年にイスラム教の勢力下に置かれて幕を閉じました。