日本史鎌倉時代

「新古今和歌集」鎌倉時代に和歌の権威を目指した重要書物について元大学教員が5分で解説

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後鳥羽院は歌人のなかからお気に入りの撰者を決定。勅撰集編集の院宣を下した。このような流れのなかで生まれたのがまさに新古今和歌集。新古今和歌集はまさに後鳥羽院そのもの。自らの権威を世に知らしめるための一大プロジェクトだったと言えるだろう。芸術であると同時に政治だったのだな。

5.新古今和歌集のその後の評価

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新古今和歌集の独自の芸術性は、和歌の世界に限らず、そのごの連歌や俳諧さらには謡曲にまで影響を与えました。しかしながら近代以降になると新古和歌集に対する評価は賛否両論。なかには酷評する批評家もあらわれるなど見方が変わってきます。

5-1近代に正岡子規が新古今和歌集を批判

天皇の命により編纂された勅撰和歌集を糾弾したのが正岡子規。アララギ派の祖と言われる歌人です。子規は自身の著作のなかで古今和歌集を「くだらぬ集」と表現。新古今和歌集については、古今和歌集よりはマシであるものの、そう思える歌はほんのわずかと言い放ちました。

松尾芭蕉や与謝野蕪村を高く評価する一方、古来の技巧を凝らした歌を毛嫌いします。子規が目指したのは俳句や短歌の改革。そのうえで権威の象徴である勅撰和歌集は打ち壊すべきものでした。

5-2北原白秋は新古今和歌集を支持

勅撰和歌集を大々的に批判したアララギ派とは対照的に、それを評価したのが童謡作家であり歌人の北原白秋です。白秋は、新古今和歌集に掲載された和歌について「日本短歌最上の象徴芸術」であると高く評価しました。さらには「日本詩歌の本流」であるとも言っています。

アララギ派が影響を受けたのはヨーロッパの自然主義。ものごとをありのままに見つめることを良しとしました。一方、北原白秋が重んじたのは象徴。そこで技巧を凝らした新古今和歌集の世界が魅力的に映ったのでしょう。

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新古今和歌集の権威主義は賛否が分かれるところであるが、和歌の芸術的な可能性を追求した点は面白いと思う。限られた字数のなかでどれだけのことを表現できるのか。それを追求した姿勢は評価してもいいと思う。

新古今和歌集は芸術と権威の最高峰を目指した勅撰和歌集

新古今和歌集を日本史の文脈のなかで学ぶ場合、次のことを押さえておきましょう。一つ目は、新古今和歌集は後鳥羽の命令で編纂されたこと。二つ目は、この時代は貴族政治が崩壊し、武士に代わった変動期であったこと。三つ目は、後鳥羽天皇は消えた王朝文化を懐かしみ、王朝時代へ帰ろうとしたこと。四つ目は、新古今和歌集の理念は「幽玄」と「有心」であることです。新古今和歌集は王朝的な伝統美がたどり着いた最終地。中世全体を流れる幽玄の源です。それは能や狂言の源にもなり、近代の北原白秋立ち多くの詩人に大きな影響を与えた点を評価しましょう。

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hikosuke